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夏は謎  -92- 本当の心






 敏美は遠慮しいしい客間を覗いた。
 佐喜子の車椅子が見えた。 続いて、丸めた細い背中も。
 佐喜子は前かがみになって両手で顔を覆い、確かにすすり泣いていた。


 やはり由宗がいないと無用心だ。
 敏美の頭に浮かんだのは、そんな心配だった。 こんなに簡単に後ろから忍び寄れる。 うっかり鍵をかけ忘れたところへ、出来心を起こした他人が入ってきて、頭をポカンと一撃したら……
「木元さん」
 敏美はそっと呼びかけた。
 ごく穏やかに言ったつもりだった。 ところが佐喜子は仰天して、針で刺されたように飛び上がった。
 敏美は急いで佐喜子の視野に入り込んで、自分の姿を見せた。
「私です、すみません驚かせて。 あの、鍵をお返ししようと……」
「怒ってないの?」
 ウサギの眼になった佐喜子が、唐突に訊き返した。


 敏美は瞬きした。
 もともとカッとしやすい性格ではないし、仕事柄、ずいぶん我慢強くなっている。 冷たく扱われても、老人にグサリと言い返す趣味はなかった。
「驚きましたけど」
「そうね……」
 佐喜子は力なく呟いた。
「あなたを信じなかった私がいけなかった」


 えっ?


 どういう意味か考える間もなく、佐喜子は言葉を締めくくった。
「やっぱり無理だわ。 あなたと喧嘩別れするなんて寂しい。 十五分のお茶の時間、楽しみにしてたのよ。 伊都子さんはいいお孫さんを育てたわね」
 は?
 話がぜんぜん見えない!
 敏美がくらくらしそうになっていると、佐喜子はようやく核心に触れた。
「あなたを危険な目に遭わせちゃいけないと思ったのよ。 あなたも由宗も。
 私に眠り薬飲ませるぐらい血迷ってるなら、由宗なんか簡単に殺しちゃうわよ。 だから心を鬼にして、ドッグホテルに預けたの」


 なんだ。
 な〜んだ!
 不意に胸が温かいもので一杯になった。
 敏美は膝を折って車椅子の横に屈み、輝く眼で佐喜子を見上げた。
「じゃ、逆の事しません? 翼が心配してました。 犯人がわかるまで、彼の家に避難しましょうよ」











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