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夏は謎  -90- 祖母豹変






 その日は珍しく涼しい一日だった。 気温は二時近くになっても二十六度までしか上がらず、スクーターの上で向かい風を受けていると、少し冷えてくるほどで、午前中の顧客(つまり犬たち)も気持ちよさそうにしていた。


 だから、木元邸に到着したとき、敏美は明るい気分だった。 奇妙な睡眠薬騒動に巻き込まれた佐喜子が落ち込んでいたら、どう慰めようかと心の中で予行演習していた。
 玄関先まで行くと、夏草がまた勢いを強めて、膝の辺りまで伸びてきているのがわかった。 家の正面だから、どうしても目立つ。 孫の許婚〔いいなずけ〕という立場になった今、ここの草取りぐらいはやるべきだな、という考えが浮かび、義務感にちょっとさいなまれながら、敏美はいつも通り鍵を使って開き戸を開けた。
 ほぼ同時に、思いがけないものが視野に入った。 上がりかまちに車椅子を持ってきて、座って待っている佐喜子の姿だった。
 敏美は反射的に頭を下げ、言い慣れた挨拶をした。
「こんにちは。 今日も由宗クンのお世話に来ました」
 佐喜子の顔は固まったままで、微笑の影も浮かばなかった。
「そうね、これまでご苦労さま。 実はね、由宗を欲しいというお友達がいて、今日の朝に譲ってしまったの。 だから、もうお散歩は要らなくなったのよ」


 敏美は、二秒ほど佐喜子に目を据えたまま、立ち往生していた。
 あっけに取られる、という状態は、言葉では知っていたが、実際にそうなったのは初めてだった。
 最後通告をしてしまうと、佐喜子はそれ以上何も言わず、動きもしなかった。 したがって、驚きから少しずつ覚めた敏美が、やっとの思いで尋ねた。
「由宗クンをよそへやったんですか?」
 感情の表れない顔で、佐喜子は頷いた。 とたんに敏美は小爆発した。
「あの子はいい番犬でしたよ? 木元さんが倒れたときも心配してたし」
 なんてぶっそうなこの時期に! 敏美は佐喜子の行動が信じられなかった。


 この質問は予期していたらしく、佐喜子はすぐに答えた。
「もう犬だけじゃ心もとないわ。 だから決めたの。 一流の警備会社に頼んで、家を改造してもらうことにしました。 昔のお城みたいにがっちりと、誰も忍び込めないように」
「でも……」
 敏美が反発しかけると、佐喜子が残りの言葉を押しかぶせた。
「あなたはよくやってくれたわ。 ありがとう。 今月末までの契約金は最後までお払いするわね。 じゃ、今日はもう、そういうことで」











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