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夏は謎  -87- 遺産分与





 その日のおやつはクリーム羊羹〔ようかん〕だった。 よく冷えた羊羹をつまみながら、佐喜子はぽつぽつと語り始めた。
「なまじっか財産があると、ごたごたが絶えないものね」
 それから、いたずらっぽい目で敏美に微笑みかけた。
「お金あるとは思わなかった? 実は、あるの。 都心のほうに土地があってね、貸しマンションも幾つか持ってて」
 幾つか? ビル一軒でも大変なものなのに、複数あるなんて……! 敏美は目を回しそうになった。
「うちの人はお商売に縁がなかったけど、私は商人の生まれよ。 こんな足腰になる前は、自分でビル管理をしてたわ」
 話す声に懐かしさが篭もった。
「せっせと貯金して、うちの人がコケたときの用意をしてたの。 ところが、大穴を当てたのはあっちの方でね」
 今度は声に笑いが混じった。
「うちの人が世話してあげた人が、何か持ってきたの。 お礼にってね。 どうせガラクタだろうと思って、見ようともしなかったんだけど、それが、ある小さな電器会社の株券だったの」
 佐喜子はその名前を言った。 今では世界中に名を知られる大会社だった。
「彼が病院で亡くなる前に、ふっと思い出してね、引き出しに株券の束があるけど幾らぐらいになるかな〜って。
 で、私が家へ帰って調べてみたら、腰抜かしちゃったわよ。 百倍ぐらいになってて。
 喜ばせたくて、現金に替えてお見舞いのとき持っていったわ。 そしたら、鞄一杯のお札を見て、僕が生まれて初めて稼いだ金だなーなんて冗談言って」
 最後で言葉がくぐもった。 型破りな旦那さんだったようだが、佐喜子さんは惚れ切っていたらしい。 ここまで人を愛せれば悔いのない人生だっただろう、と敏美は思った。
 拳で怒ったように涙を払い落とした後、佐喜子は続けた。
「それが、バブルのはじける寸前だった。 たまたま株価がいちばん高い時に現金化したわけ。 まるごと彼のお金だから好きに使ってと言ったら、遺言書きはじめたの。 まだ小さかった翼に二分の一を譲るってね」
 そのお金で家を買ったんだ。 相当な金額だったことがわかる。
 敏美が納得していると、佐喜子は声を下げて付け加えた。
「でも、和一ちゃんには遺さなかった。 一銭も」


 敏美は思わず目をつぶった。 アチャーという感じだった。 認知せず養子に出してしまった息子だ。 せめて罪ほろぼしに、遺産の残り二分の一は和一郎さんに上げればよかったのに、と、敏美は腹立たしくなった。












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