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夏は謎  -77- 投薬の謎





 敏美は一瞬立ちすくんだが、すぐ膝をついて佐喜子の首筋に手を当てた。
 暖かい。 ほっとしたところで前に聞いたことを思い出し、バッグから鏡を出して佐喜子の鼻先に持っていった。
 鏡の表面が、蒸気で曇った。 呼吸している証拠だ。 すばやく見回したところ、床にも佐喜子の衣服にも血は流れていないようだった。
 かがみこんだまま、敏美は携帯を取り出し、119番に通報した。


 四分で来てくれた救急隊員は、血圧も脈拍も正常だと言った。 だが、運搬しても意識は戻らない。 睡眠薬を飲みすぎたのかもしれない、とも言った。
 そこで敏美は異変を感じた。 佐喜子が睡眠障害を訴えたことはない。 それどころか、眠れすぎて困ると冗談を言っていた。
「座ってて、気が付いたらうつらうつらしてるってことがしょっちゅう。 でも夜は夜で、ベッドに乗ったとたんにバタンキューなの。 知ってる? バタンキューって昔の言葉? あっという間に寝ちゃうってことなんだけど」
 だから、血圧を下げる薬は服用していたが、睡眠薬は必要なかったはずだ。 たぶん見たこともないだろう。
 サイレンを鳴らして走る車の中で、敏美はそのことを隊員に説明した。
「もし睡眠薬だったら、自分で飲んだとは思えないです。 快眠快食だって言ってたし、いつもしっかりしていて明るくて、自殺なんか考えられないし」
 隊員は考え深い顔をして、あいまいに頷いただけだった。


 隊員の推理は正しかった。 かつぎこまれた救急病棟で、ある睡眠薬の過剰摂取がわかった。
 命にかかわるほどの量ではないが、佐喜子が八十近い年齢のため、誰かが薬を盛ったのなら危険な行為だった。 殺人未遂といえるかもしれない。
 病院に入る前に、敏美が翼に電話で知らせたため、彼は十五分で駆けつけてきた。 そして、待合室でそわそわしていた敏美を見つけると、飛びつくようにして手を握った。
「グーちゃんは?」
 急いで敏美は彼を安心させようとした。
「大丈夫。 発作とかじゃないって。 睡眠薬の飲みすぎだって」
 翼はきょとんとした。 やはり敏美と同じで、信じられなかったらしい。
「グーちゃんが? ないない、絶対ない」
「そう思うよね?」
 敏美は勢いづいた。
「胃洗浄するほどの量じゃないけど、まだ効いてて目が覚めないの」
「一体いつ飲まされたんだ?」
「さあ……晩御飯か、朝食の時か……」
「それしか考えられないな。 血圧の薬をきちんと取るために、だいたいいつも食事時間が同じなんだ。 それに、敏美と食べるおやつが楽しみで、他の時間は間食しないし」
「でも、誰かがわざと飲ませたんなら、どうやって、何のために?」
 二人は答えに詰まって、顔を見合わせた。










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