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夏は謎  -71- 飾るのは





 そこで和一郎は、ピョンと仕掛け人形のように、背中をまっすぐにして座りなおした。 不意に思い当たったらしい。
「待てよ。 今日はふつう休みだけど、君は午後から早くも仕事なんだろう?」
 敏美は仕方なく頷いた。 すると、和一郎は額に皺を寄せて、また考えた。
「じゃ、うっかり話を持ち出せば、伯母さん怒っちゃうかもしれないね」
 また訳のわからないことを。 敏美は次第にじりじりしてきた。
「私が? なに話すんです? 何も知らないのに」
「しょうがないなあ。 伊都子さんから聞いたんじゃないの? 絵のモデルになったって。 それも凄い人の。 あの鏑木清方」


 敏美は目をしばたたいた。
 本はたまに読むことがあるし、漫画やアニメは結構好きだが、本格的な絵はほとんど知らないし、興味もない。 カブラギって珍しい名前だな〜と思うぐらいだ。
「鏑木……さん?」
「そう。 後期の傑作、だと思うんだけど、伯父さんが門外不出にしてたから、ほとんど知られてない。 画集用の写真も撮られてないんだ。 幻の名作って感じかな」
 そこでようやく、敏美にもわかった。 素晴らしい出来栄えの絵で、しかもこれまで世の中に出たことがない。 そんな名品を自分の稽古場に堂々と飾ることができたら、和一郎にも流派にも名誉だし、すごくいい宣伝になるはずだ。
「うちの祖母は全然話してません。 父も知らないんじゃないかと」
 答えながら、敏美も不思議だった。 なぜイッコさんは大画家のモデルになったという素敵なことを話してくれないのだろう。 まさかとは思うが、ヌードとか……?
 用心しいしい、敏美は訊いてみた。
「えーと、ちゃんと服着てる絵?」


 一瞬、和一郎はあっけに取られた。
 それから体を折って、爆笑した。
「いや〜、そう来たか! 違う違う、そういう絵描きさんじゃない。 日本画だよ、品のあるしっとりした絵。 『夕涼み』という画題でね、たしかアジサイの模様のついた着物姿だったよ。 ほら、君が踊りの会に来てくれたときみたいな」


 知識がないのがばれてしまって、敏美は顔を赤らめた。 そんなときでも自然に頭が動き、なぜ自分があのときアジサイ模様の着物を着せられたか、ようやく悟った。
 佐喜子夫人は、確かめてみたかったのだ。 敏美がどれほど祖母の伊都子に似て見えるか。









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背景:月の歯車
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