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夏は謎  -69- 強引だが





 敏美は動かなかった。 この誘いはどこをどう見てもうさんくさい。
「今度は偶然じゃないですよね?」
 和一郎は眉を上げ、平気で微笑んだ。 すると、翼にはない艶然とした色気がにじんだ。
「ちょっと待ってたかな? いいじゃない? 会いたかったんだから」
「私に?」
 敏美は正直に驚いた。 自分の姿には幻想を抱いていない。 並みの水準には達していると思うが、並み以上に魅力的なんてことはないはずだ。
「急ぎの用事か何か?」
 和一郎の微笑が苦笑に変わった。
「他の理由は考えられない?」
「全然」
「参ったな」
 和一郎は首を振って呟いた。
「素で言ってるから怖い。 君には自意識ってものがないの?」
「ありますけど、きれいな人を見慣れてる綺麗な男性に対しては、ない」
「翼と同じ顔だろ?」
「いえ」
 敏美はきっぱりと言った。
「彼は地味」
「彼か」
 不意に和一郎は真面目になった。
「どこまで行った? プロポーズ?」


 ずばりと言われて、さすがに敏美は目が泳いだ。 でも、どうせ知られる事だ。 頑張って首を縦に振った。
「はい」
「すげーな。 俺より手が早い」
 和一郎が嘆息したとき、横をすり抜けていった車の運転者がジロリと睨んでいった。 上等な彼の車が道を大幅に塞いでいるからだ。
「やっぱ乗ってよ。 いつまでもここにいるわけに行かないし」
 気は進まなかった。 今、当の本人が手が早いと公言したばかりだし。
 でも、自意識過剰じゃないと言ってしまった手前、断るのもためらわれた。 仕方なく、敏美は彼が開けたドアに身をかがめ、助手席に腰を降ろした。 多めの荷物は、和一郎が後ろに入れてくれた。


「家、どこ? あ、道筋じゃなくて住所だよ。 ナビに入れるから」
 敏美は教えた。 すると、和一郎は物足りなそうな顔になった。
「一キロぐらいしかないじゃない。 あっという間に着いちゃうよ」
「駅からその位なら、歩いても帰れるから」
「どっかに寄って昼飯食べない?」
「あー、もう実家で食べてきちゃったんで」
 敏美はその日初めて嘘の言い訳をした。
 









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