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夏は謎  -56- 送られて





 親切な言葉だから、断る理由がなかった。 どういうわけか、あまり気が進まなかったが、由宗のほうがサッサと後部座席に乗り込んでしまったので、敏美もコートを脱いで後に続いた。
 和一郎は運転席の背もたれ越しに振り返り、気軽な口調で言った。
「シートは全部防染加工してあるから、濡れてても平気だよ」
「はい」
 自分のことよりも、泥足のままで上がりこんだ由宗のために、敏美はホッと胸を撫で下ろした。
 犬は、そんな敏美の思惑には無関心で、窓から外を嬉しそうに眺め、それから運転席に目をやって、いかにも早く発進しろと言わんばかりだった。
 その様子を見ているうちに、敏美はあることに気づいた。 由宗は日本犬としては人なつっこいほうだが、初めての車でこんなにリラックスはしない。
「由宗クンは谷中さんになついてますね」
「そう? 確かに犬は好きだけど。 じゃ、出すよ」
 高級車はフワリと発車した。 由宗は喜んで舌をたらし、過ぎ去る町並みを熱心に見詰めた。
「用事が早く済んだんで、こっちへ回ってみてよかった。 ほら、大雨になってるよ」
 彼が指差す先を見ると、ワイパーが忙しく半円を描いていた。


 木元家まではたかだか六百メートルの距離なので、豪雨の中でも和一郎の車はあっという間に表玄関前の長屋門をくぐった。
 今度はご飯を期待して、由宗は敏美に続いていそいそと降りた。 まだ雨は強く降り続いている。 その中でも窓を開けたままで、和一郎は気さくに言った。
「今度は由宗抜きで、食事に誘えたらなぁと思ってるんだけど。 ねえ、どんな料理が好き?」
 どんな料理って……。
 急に押し強く迫られて、敏美は困った。 不快感がちらりと顔に出たらしく、和一郎はすぐユーモラスな表情になった。
「ほら、飲み友達とかゴルフ仲間とか、友達にもいろいろあるでしょ? 食事友達っていうのも、あっていいんじゃないかな。 君って静かでおっとりした感じだし、言葉遣いも綺麗だから、一緒に食べたら料理がよりおいしくなるタイプだと思うんだけどな」
 そして、敏美が答える前に、すばやく付け加えた。
「まあ、僕が嫌いというんなら別だよ」









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背景:月の歯車
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