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夏は謎  -55- 雨の再会





 敏美はあいまいな笑顔を浮かべただけで、はっきりとは答えなかった。 イッコさんが話の中で何度も使ったので、自然に覚えて口から出た名前だった。 でも、それを説明して、イッコさんの失恋話をライバルの孫に打ち明ける気にはなれなかったのだ。


 それからの数日間は、淡々と過ぎた。
 木元家に行く時間帯になると、翼は必ず電話をかけてきた。 敏美は由宗を散歩させながら、毎日少なくとも十分は翼と話し、仕事中なのに大丈夫? と毎回心配した。
 翼の返事は、いつも決まっていた。
「平気。 コーヒー・ブレイクってことにしてあるから」
「上の人に見つかるとまずいよ」
「大丈夫ってぐらい、午前中働いてるって。 仕事も敏美もがんばりたいんだ、オレ」
 どうやら電話では、すでに呼び捨てに成功したらしかった。




 和一郎と再会したのは、週半ばの水曜日だった。
 その日は午前中に雨が降り、午後も雲が低く下がってきていて、いつまた降り出しても不思議はなかった。
 だから、敏美は急いで午後の一軒目を済ませ、少し早めにスクーターを飛ばして木元家に行った。 大雨になる前に、由宗の運動だけは済ませたい。 ひいきといわれても、やはり今の敏美には木元家は特別な存在だった。
 食餌は散歩の後ということにして、おやつをちょっとだけやって誤魔化すと、敏美は由宗を連れ出した。
 まだ二時前だから、翼からの電話はかかってこない。 敏美は由宗に話しかけながら、走ったり歩いたりして道を進んだ。
 もう少しでいつもの散歩場に着くというとき、走ってきた車の一台がスピードを緩めて、一人と一匹の横で止まった。
「やあ、由宗を運動させてるの?」
 和一郎だった。 今日は上等そうなポロシャツを着ている。 いつ見ても彼は、まんまモデルになれそうな格好をしていた。
 しかたなく、敏美は足を止めて挨拶した。
「こんにちは。 この間はご招待ありがとうございました」
「いやいや、どういたしまして」
 和一郎は無邪気にニコニコした。 笑うと可愛いのは翼と同じだ。 これなら確実にもてる。
 窓から顔を覗かせて、和一郎は空を見上げた。
「ザッと来そうだな」
 すかさず敏美は言った。
「だから早く散歩を済ませようと思って」
「なるほど。 じゃ頑張って。 またね」
 軽く手を振って、和一郎はまた車を走らせていった。


 十五分ほど歩き回ったとき、目の前を銀色に光る物がかすめた。 とうとう雨が落ちてきたのだ。
「降ってきちゃったね、由宗クン。 さ、このコート着て、急いで帰ろうか」
 こういう時のためのビニール・コートを素早く由宗に被せて、自分はフード付きのレインコートのジャケットだけ羽織ると、敏美は自然公園を出て、坂道を登った。
 その途中、背後から声がかかった。
「やっぱり雨になったね。 ちょうど間に合ったから、送るよ」








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