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夏は謎  -52- 比べても





 翼がどんな仕事をしているか、伊都子は熱心に尋ね、堅実な技術系サラリーマンだと聞いて、更に乗り気になった。
「直昭さんも物作りが好きでね、手先が器用だったわ。 自力でボートだかカヌーだか作って、隅田川で漕いだことがあったわね。 まだ川が汚い頃で、引っくり返ったらどうしようと、見てるほうがハラハラしたけど」
「イッコさん見に行ったのね?」
 敏美が訊くと、伊都子は頷き、懐かしそうに目を細めた。
「進水式、なんて言ってた。 お弁当とテープと、花束も持っていったのよ。 あのときはまだ佐貴子さんはいなかったから、私と直昭さんだけの思い出ね」


 不意に、敏美の目の奥がツンとなった。 これまで初恋については、祖母の遥かな記憶として、話半分に聞いていただけだった。 でも、その相手が翼の祖父で、おまけに翼とよく似ているとなれば、彼を失ったイッコさんの哀しみが不意に身近なものとして、実感を持って心に迫ってきた。
「そんなに仲良かったのに、別れることになって残念ね」
 敏美がそっと言うと、伊都子は急にとぼけた顔になって、孫の手を軽く叩いた。
「初恋は、たいていそんなもんよ。 うちはその頃羽振りが良くて、そこそこいい暮らしをしてたけど、直昭さんの家を支えるほどの金持ちじゃなかった。 それに私もほんの小娘で、きっと直昭さんにとっては妹に毛が生えたぐらいのもんだったんでしょう」
 余計なお世話かもしれないけど、敏美は一言質問せずにいられなかった。
「木元家はお金持ちだったの?」
 伊都子はチラッと流し目をした。
「すごい財産家だったわ。 軽井沢にお城みたいな別荘を持ってたもの。 結婚披露宴はそこでやって、あんまり豪華なんで新聞に出たぐらいよ。 地方紙だけど」
 敏美はムッとなった。 金の力か? 札束を見せびらかして、直昭氏を買い取ったのか??
「私がその人だったら、イッコさんを選ぶな。 イッコさんのほうが、ずっと綺麗」
 伊都子はプッと吹き出した。 邪気のない明るい笑いだった。
「そりゃ敏ちゃんは私の孫だからね、当然そう言ってくれるわよね」
「でもほんとに……」
 むきになって言いかける敏美を、伊都子はやんわり遮った。
「好みは人それぞれ。 それでもありがとう、私の肩持ってくれて。 やっぱり女の孫はいいわ」








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