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夏は謎  -47- 初めての





 敏美のアパートまで行く間、二人は他愛のない言葉遊びをしていた。
 たとえば、アで始まる人の名前とか、アフリカに生息する動物の種類とかを、交互に言うというゲームだ。 敏美は動物には強かったが、人名はあまり思いつかなかった。
「あー、朝倉! ほら、昔のアニメにあったじゃん。 朝倉南って」

「ああ、『タッチ』ね」
「男も女もみんな似たような顔してたよな」
「男の子は確か双子で」
「片っ方が事故で死ぬんだ」
 一呼吸置いて、翼はぽつんと言い添えた。
「オレも双子だった。 先に生まれたのは女の子で、最初から息してなかったんだって」


 敏美は、驚いて顔を上げた。 翼は進行方向を見たまま、やや乱暴にハンドルを回して左折した。
「翔子〔しょうこ〕とつけたんだけど、地上に降りないで天に飛んでいっちゃったと、親がオレの誕生日のたびに言ってた。 切ないよなぁ。 生まれる一時間前には、確かに心音がしてたっていうんだから」
「ほんとは一人っ子じゃなかったのね」
 敏美が遠慮がちに言うと、翼は子供のように頷いて、淡々と付け加えた。
「生まれる前から双子だってわかってたから、ジーちゃんは二人分の貯金を用意してたんだ。 将来の結婚資金だとか言って。 やたら気が早いよなー」
「やさしいね」
 ジーちゃんとは、たぶんグーちゃん(佐貴子さん)の旦那さんだろう。 写真の美男だ。 一人残った男子の孫が、自分そっくりに成長しているのを、あの世で喜んでるかな、と、敏美はふと思った。
「じゃ、翔子ちゃんの分は、他のお孫さんに?」
「孫はオレ一人」
 翼の声が、心なしか固くなった。
「二十歳で受け取ったんだ。 一人分だけど、けっこう多かったよ」
 一人分? じゃ、翔子ちゃんの取り分は、佐貴子夫人に残されたのだろうか。 訊いてみようかなと一瞬思ったが、人の家の内情をあまり深く訊くのも礼儀知らずだと思い、敏美は質問を止めた。


 アパートの前で車を停めてから、翼は、
「着いたよ」と明るく言った。
「ありがと。 今夜は楽しかった。 これから木元さんを迎えに行くんでしょう?」
「そう。 あんまり飲んでないといいけど。 あの人、酒入ると人格変わるから」
「怒るの? 泣くの?」
「いや、大声で騒ぐ」
 敏美は笑い出した。
「賑やかになるのね? いいお酒じゃない?」
「うるさくて気が散る。 運転ミスしないようにしないと」
 そう言ってから、翼は薄暗い車内で一瞬敏美を見つめ、不意に首を伸ばしてキスした。






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