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夏は謎  -45- 心に響く





 子供たちの出番が終わると、短い休憩になった。 すると、親たちの多くがさっさと席を立って帰ってしまうので、敏美は驚いた。
「最後まで見ていかないの?」
「ああ、お目当ての人が出るときだけ来るって客が多いよね」
 ちょっと意外だが、劇ではないから、演目ごとに客が入れ替わってもいいらしかった。


 佐貴子が目を輝かせて見入っているし、敏美もせっかく気合を入れて着付けしたからには、終わりまで見物していきたいと思った。 だから、途中で欠伸が出そうになっているのは、運転手代わりの翼だけだった。
 舞台では、本格的に衣装をつけた『浅妻船』や『棒しばり』が舞われ、なかなかに楽しかった。
 だが、最後に出てきた谷中登美春〔やなか とみはる〕という女性師範代と和一郎師匠との道行きは、それまでの踊りとは次元が違った。 かしげる首や、倒す背中の線、返す手首、指の先まで神経が行き届き、うっとりするような所作で、客席では何枚もハンカチが取り出され、すすり泣きの声も漏れた。
 敏美も、いつの間にか見とれていた。 日本舞踊をちゃんと鑑賞したのは初めてで、まったくの素人だが、それでも感動した。
 二人が雪の中に倒れ伏して曲が終わると、わずかな沈黙の後、拍手と掛け声が炸裂した。 佐貴子も夢中で手を叩きながら、興奮した声で敏美に話しかけた。
「すごい。 今日のは特に凄かった。 和一ちゃん最近遊びが過ぎると思ったけど、なんのなんの、立派に修業積んでるわ」
 舞台の二人は、優雅に起き上がって、笑顔で声援に応えた。
 そこへ舞台の両袖から、あやめの造花を掲げた浴衣姿の出演者たちがどんどん出てきた。 和一郎と登美春は、ササッと現われた黒子〔くろこ〕に衣装を引き抜いてもらって、一瞬で揃いの浴衣姿になり、他の出演者たちと並んで回りながら踊った。 上手〔かみて〕のマイクで、男女の二人組が陽気な民謡を歌って伴奏にしていて、これがまた非常にうまかった。
 こうして発表会は楽しく終了した。 和一郎は短い口上を述べて客に感謝し、出演者をねぎらった後、立ち上がった客たちに、一緒に舞台に上がって記念撮影しましょう、と呼びかけた。
 すると、いつものことで予期していたらしい客が、ドバッと舞台につめかけた。 あまりの数に、三組に分けて撮らなければならないほどだった。
 すぐ下の座席で、翼はホッとして肩をぐるぐる回し、佐貴子と敏美に笑いかけた。
「よーし、やっと帰れるぞー」
 そこでようやく、敏美は花束を抱えたままなのに気づいた。
「わー、見とれちゃって、渡すの忘れた」
「まだ遅くないよ。 ほら、和一ちゃん花に埋まりかけてる」
 着飾った老若女性が、和一郎を取り囲んで花や贈り物を次々と渡していた。 まるで人気頂点のアイドルだ。 あそこに行くの? と考えただけで、敏美は足が前に進まなくなった。
「なんか、うっかり近づいたら撥ね飛ばされそう」
「バーゲン会場並みだな。 オレ持ってってもいいけど?」
「えーほんと? 頼める?」
 敏美は胸を撫で下ろした。
 なぜか嬉しそうに、翼は軽い足取りで舞台に駆け上がって、和一郎に敏美の花束と佐貴子からの包みを渡した。 すると和一郎は伸び上がって敏美たちに顔を向け、親しげな微笑みを浮かべて会釈した。







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背景:月の歯車
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