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夏は謎  -44- 踊りの会





 驚いて顔を向けた敏美は、目前に立っているのがスタンダードプードルニ頭の飼い主の小橋〔こはし〕夫人だったので、目を丸くした。
「あ……小橋さん、こんばんは」
「こんばんはじゃないわよー、見違えちゃったわー。 こんなに着物が似合うなんて。 おまけに」
 夫人の眼が、グイッと横のダークスーツに移った。
「こちらどなた? 谷中先生に弟さんいらしたかしら?」
「兄弟じゃなく、甥です」
 翼は穏やかに訂正し、ニコッと笑った。
「祖母のお供で来ました」
「まあ、それは」
 夫人はすっかり物知り顔になって、陽気に提案した。
「じゃ、ご一緒しません? 娘が出していたたくものですから、かぶりつきにお父さんが席取ってるの。 来るはずのお友達がまだなので、空けたままでもいられないし、どうぞご遠慮なさらずに」
 この奥さん、会場を自分のものみたいに仕切ってる──敏美は可笑しくなったが、小橋夫人がさっぱりした良い人なのを知っているだけに、断れなかった。
 横に立つ翼の顔を見ると、彼は軽く頷き返して、夫人に負けず明るく答えた。
「ありがとうございます。 今祖母を連れてきます」


 舞台正面の席に来てみてわかったが、小橋一家は星芯流世田谷本部の実力者らしく、いろいろな年代の男女が次々と挨拶に訪れて、夫人は席に落ち着く暇もなかった。
 翼は流派には何の関係もないが、顔立ちからいって親戚筋なのはすぐわかることで、彼を隣に置いて、小橋夫人は御満悦だった。 これで師匠の家族と親しくしているのがわかって、ますます箔〔はく〕がつくと思っているのだろう。
 座席が前のほうだと、佐貴子の車椅子が通路を塞ぐ心配も少なかったが、翼は気を遣い、手を貸して座席に座らせ、車椅子は畳んで舞台の下に寄せた。 そのほうが佐貴子も楽なようだった。


 発表会は、定刻ぴったりに始まった。
 最初は子供たちで、三人で踊る可愛らしい舞あり、男の子一人で石川五右衛門のような衣装で見得を切る[供奴]ありと、ほほえましかった。
 本人より親たちが大変で、動画に収めるため通路をにじり寄ってくるは、遂には舞台の裾まで来て小声で指図するはで、敏美は気が散ってしまった。
「凄いな〜、ステージママみたい」
「パパも一杯いるし」
 翼がニヤついた。
「すごい金かかってるから、元取りたいんだよ」
「やっぱりああいう踊りはお金かかるの?」
「ピンからキリまであるけど、体に合う衣装借りてメークしてもらって、特別レッスン受けてとなると、百万超える。 時には数百万」
 うわ。 百万の札束なんて、見たこともない。
 自分の給料のことを考え、敏美は割り切れない気持ちになった。 習い事って、そんなにお金がかかるのか。 将来子供を持ったとき、その子が踊りたいと言い出したらどうしよう。
 翼の君は娘のためならポンとお稽古費用を出しそうだな、と不意に思った。
 思ったとたん、勝手に赤くなった。 何考えてるんだか。 彼の奥さんになると決まってるみたいに。






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