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夏は謎
-42- 着替えて
そのとき玄関の戸が開いて翼が顔を出し、敏美と犬の両方を呼んだ。 紺色のパリッとしたスーツを着ていて、なかなか格好よかった。
いつもの客間に入ると、すっかり着替えを済ませた佐貴子が車椅子に納まっていた。 銀ねずの無地の着物に、てっせんの花模様がついた帯を合わせている。 いつものロングスカートやゆったりしたスラックス姿からは想像できない毅然とした姿に見えた。
「すごくお似合いです」
敏美が本心から言うと、気持ちが伝わったらしく、佐貴子は明るい笑顔になった。
「そう? てっせんはまだ早いかなと思ったんだけど、色が合うから締めてくことにしたの。 さ、あなたもすっきり綺麗に仕上げてあげるわ。 翼〜、あんたは由宗の相手をしたげてね。 覗くんじゃないわよ」
「そんなことしませんって」
陽気な声が返ってきて、女二人はクスッと笑った。
それでも、着替えが終わって、敏美が車椅子の佐貴子を先に立てて部屋から出ていくと、玄関で待っていた翼は驚いた様子で、むしろきょとんとした表情に変わった。
「あれ……」
佐貴子は得意そうにうなずいてみせた。
「こんなに似合うと思ってなかったでしょう。 菅原さんは日本人形みたいな顔立ちだから、前髪を下ろすとほんとに可愛いの」
「これは絶対、写真撮っておかなくちゃ」
翼はそう宣言し、黒いバッグからデジタル一眼レフを取り出して、着物姿の女性たちを何枚も撮りまくった。
「現像して菅原さんと私にちょうだいよ」
佐貴子の言葉に、翼は大きくうなずきながら訂正を加えた。
「あげますよ。 でも現像じゃないの。 もう写真屋に持ってかなくても、家でプリントアウトして引き伸ばしもできる」
「そうなの? でも、あんたの腕じゃおぼつかないね」
「腕はあまり関係ないんだよ、いまどきのカメラは」
ちょっとムッとしながらも、翼は最新式デジカメでは逆光でも撮影できるし、接写やズームも可能だと、熱心に説明しはじめた。
佐貴子夫人は上の空で、話半分でいきなり口を入れた。
「いいよそんなしち面倒くさいことは。 なんでもできるカメラだってことはわかったから。
じゃ、スロープ降りるから車まで連れてっておくれ」
「だからグーちゃんでも失敗しないで撮れるカメラなんだよ。 少しは新製品に興味持ったら?」
「そういうのは若い人にお任せ。 私が死んだらいくらでも贅沢できるんだから、一杯買いこめばいいわ」
「やめろよその言い方。 オレがグーちゃんの遺産なんか狙ってないの、知ってるだろ?」
声を落としてそう応じた後、翼は勢いをつけて車椅子の前側を持ち上げ、敷居を越えさせた。
二人が外に出てから、敏美はたたきに降りて、草履を穿いた。 そのとき、遠ざかっていく佐貴子の返事が、風に乗って耳に入ってきた。 低い囁きに近い声だったのだが。
「だから気がかりなのよ。 しっかりあなたが継がなくちゃ。 喉から手が出るほど欲しがってる人間が、あっちこっちにいるんだから」
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