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夏は謎  -39- 招待とは





 翌日の月曜日、木元邸にやって来た敏美は、玄関口で出迎えた佐貴子から、思いがけない物を渡された。
「いらっしゃい。 あのね、昨日預かったから、これ受け取って。 さもないと忘れちゃいそうで。 はい」
 佐貴子が車椅子から差し出した封筒に、自然と目が行った。 透かしの入った粋な紙で作られていて、銀色の縦書き文字で、御招待、と印刷してあった。
「これは……」
「和一郎さんの踊りの会」
 佐貴子はあっさりと答えた。
「お弟子さんたちの発表会でもあるの。 翼は退屈だなんて言ってたけど、そんなことないわよ。 和一郎さんはどんな初心者でもお弟子さんを全員舞台に出すというのがモットーで、その分演出や装置に凝るの。
 舞台装置や振り付けを派手にしておけば、後ろの踊りが下手でもごまかせるでしょ? だからけっこう面白いわよ」
 なるほど。 弟子に人気があって付け届けが多いわけだ。 谷中和一郎はなかなかの事業家と見た。
 敏美の顔を見上げて、佐貴子はその考えを読み取ったらしい。 急いで付け加えた。
「でも、古くからのお弟子は本物よ。 すごく上手なの。 だから、初心者は前半で楽しんで、通〔つう〕は後半に見とれるわけ。 そしてフィナーレでみんな出て盛り上がって、しゃんしゃんと終わるのよ」
「はあ」
 少し気持ちが動いたものの、敏美は仕事のことを思い出した。
「見てみたいですけど、仕事のスケジュールが変則的なので、ちょっと行けないかな〜」
「あらそう? 確か週末の夜なのよ。 ええと」
 佐貴子はいつも持っているポシェットの紐を広げて、スケジュール帳を出し、老眼鏡をかけた。
「今週の土曜日よ。 六月二十六日。 午後六時開演」


 あれ、行けちゃうじゃない。
 時間的には問題ない。 敏美は当惑した。
「土曜の夜ですか」
「ええ。 あらちょっと待って。 あなた土曜日の午後は、たしか休みよねえ」
 思い出されてしまった。 敏美は慌てて別の口実を考えた。
「でもそういうところへ行くのは、ちゃんとした服装でないと……」
 そこまで言ったところで、突然佐貴子が両手を打ち合わせた。 敏美はびっくりして声が途切れた。
「いいこと思いついた! 私と嫁の着物が一杯あるのよ! 伝統柄が多いんだけど、ほら、今は昔の模様が新鮮じゃない?」
「き……着物……?」
 予想もしなかった展開に、敏美は焦って一歩後ろに下がった。 すると、ずっとそこで待ちくたびれていた由宗に膝の裏が当たり、あやうく犬の上に座りこみそうになった。
 佐貴子のほうはますます活気に溢れ、グイと限界まで車椅子を進めた。
「和服着たことない? 心配いらないわ。 私が全部準備してあげる。 あなたの背丈だと、ちょうど嫁と同じぐらいね。 私のでも、若いころ大柄だったから、充分大きさは合うはず」
「木元さ〜ん」
 困った敏美は、思わず泣きを入れた。






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