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夏は謎
-37- 食べ過ぎ
いつもと同じに、十五分ほど過ぎたところで、敏美は席を立ち、佐貴子たちに挨拶した。
「ご馳走様でした。 じゃ、そろそろお暇します」
おやっという表情で、和一郎が顔を上げた。
「行き届いた挨拶だな。 佐貴子おばさんが好きになるわけだ」
「育ちがいいんだよね」
自分のことのように、翼が自慢した。 褒めすぎだよ、と、敏美は気まり悪くなった。
「いえ、そんな……。 じゃ、明日また」
「これ何個か持っていきなよ。 食べきれないから」
またも自分のケーキみたいに、翼がレースペーパーに五種類の洋菓子を載せ始めたので、和一郎が苦笑いした。
「おい、人の土産でいい格好するな。 もちろん喜んで差し上げるけどね」
「ちょっと。 もらったのは私よ。 きれいなの選んであげてね。 そこちょっと角が崩れてるじゃない」
佐貴子までがはしゃいで割り込んできた。
和一郎が持参してきた銘店の紙袋に入れてもらった後、敏美はようやく解放されてスクーターに急いだ。
ちやほやされるのは嬉しい。 でも自分はお嬢様でも何でもないのだ。 翼はともかく、上等な服を着て高級車を乗り回している男盛りの師匠に、あんなに愛想よくされる理由がわからなかった。
ペットシッターは、いわば裏方の職業だ。 犬の世話を通じて、いろんな家の内情が透けて見える。
財産家でも、本当にペットの犬や猫などをかわいがっているところは、自分で世話をする人が多いから、頼んでくるのは、佐貴子のように体が動かない客とか、共稼ぎで時間がないとか、または、ファッションや見栄で飼ってできるだけ手を抜きたいという連中だった。
この最後のグループでは、女も男も態度のデカい人間が多かった。 ペットシッターを使用人扱いするのはザラで、フードを買ってくるよう命じたり、ケチをつけて料金を割り引きさせようとしたり、中にはもう飽きたから処分してきてほしいと言い放つ人間までいた。
そんな環境で鍛えられた敏美には、ロゴ付きのユニフォーム姿の女の子を丁寧に扱う金持ち男が怪しく見えた。 もちろん、本当に優しくて親切なのかもしれない。 だが、何らかの下心がありそうだと疑っておいたほうが、無難だった。
その晩は、ケーキだけで満腹になってしまった。 仕方なく、敏美はダイエット茶を引っ張り出してきて、二杯ほど飲んだ。 高校時代に若気の至りでピザ大食いコンテストに出場し、二位になったものの、三キロ太ったという、苦い経験を持っていたのだ。
食べ過ぎなおかげで、夜も寝苦しかった。 敏美は何度も寝返りを打ち、真夜中ごろに、いやな夢を見た。
それは、敏美自身が泥棒になって、木元家の壁に張り付いているという夢だった。 狭い横木に足を置き、なんとか二階の窓に這い上がろうとしていると、いきなりガラスの向こうに顔が現われた。
それが佐貴子の夫なのか、それとも和一郎なのか、わからないうちに、男は残忍な笑いを浮かべた。
「やっぱりお前か。 ぜったい中には入らせないからな」
そう言い放つと同時に、男は窓を力まかせに開いた。 飛び出てきた窓枠に跳ね返されて、敏美は悲鳴を上げながら暗闇に落ちていった。
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