表紙 目次 文頭 前頁 次頁
表紙

夏は謎  -30- 竹林の姿





 通いなれた道を曲がると、すぐに木元家の大門から翼が出てきた。 バイクの音を覚えているらしかった。
 目が合うと、彼は明るい笑顔になって、右手を高く上げた。 距離にして三十メートルぐらいしかない上、まだどんどん近づいているのに、丘のてっぺんから挨拶しているぐらい大きな仕草だった。
 可笑しくなって、敏美も思わず顔をほころばせた。 それで気詰まりがずいぶん小さくなった。
 翼は、敏美がバイクを止める前に近づいてきた。
「時間ぴったり」
「道路混んでないしね。 日曜だから」
 玄関のほうから、待ちかねた由宗の吠え声が聞こえた。 めったに鳴かない彼としては珍しいことだった。
「あいつ、オレが三十分前ぐらいに来てから、ずっと外に出たがってたんだ」
「そうなんだ。 じゃ、早く連れてってあげないと」
 敏美が玄関横でバイクを立てようとしていると、翼が手伝ってくれた。
「サンキュ」
「あ、ここでバイクと待ってて。 今由宗連れてくる」
「でも、木元さんにご挨拶しないと」
「グーちゃんに捕まると、また五分ぐらいかかる。 わざわざ中まで入ることないよ。 どうせ散歩から帰ってきたら、お茶に呼ばれるんだから」
 そう言うと、翼は紺色の作務衣に茶色のサンダルという姿で、パタパタと足音をさせて玄関へ入っていった。


 翼が戻ってくるまで、敏美は静かな前庭をなんとなく見渡していた。
 大きな雑草は、一応抜いてあるようだ。 それでも石を縁取りに並べた花壇まで、細かい葉のハコベや、地面に張り付いたオオバコの群落にびっしり覆い尽くされていて、手入れが足りない印象は変わらなかった。
 世田谷でこの広さだと、税金は相当高いだろう。 翼の君に代替わりしたら、相続税対策で、ここは売られてしまうんだろうか。
 そう考えると、惜しい気がしてならなかった。 歴史を感じさせるお屋敷が消えて、近所と同じような小じゃれた住宅になってしまうのは、いくら時代の流れとはいえ。


 玄関の中で、由宗のクウーンという甘え声が聞こえた。 引き綱をつけて、いよいよ出てこようというのだろう。
 敏美がもたれていたバイクから手を離し、足を踏み出そうとしたとき、何かの気配を感じた。
 急いで振り向いたのは、庭の東側にある竹林の方角だった。 林には見事な孟宗竹〔もうそうちく〕が、五十坪ぐらいの区画に生えている。 根が伸びて庭中にはびこらないよう、林の縁には低い石垣がぐるりと巡らされていた。
 誰かが、そこから敏美を見ていた。
 黒い頭がパッと引っ込んだが、ほんのわずかの差で間に合わず、敏美の視線をかすめてしまった。












表紙 目次前頁次頁
背景:月の歯車
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送