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夏は謎
-26- 疑惑の影
やはり佐貴子夫人は知っていた。
名指しで指定までして、私を雇おうとした。
でも、どうして?
敏美にはまったく覚えがなかった。
もやもやを抱えたまま、敏美はドカンとスクーターに乗って、いつもより荒っぽく発車させた。
夕方の道を走らせながらも、敏美の心は割り切れなさと疑問符で一杯で、ろくに周囲に気を配っていなかった。
そのせいで、普段ならありえないことをやってしまった。 曲がり角を間違え、ひとつ手前で折れてしまったのだ。
行き止まりの塀にぶつかりそうになって、ようやく敏美は我に返った。 ここは袋小路で、通り抜けできない。 かっこ悪いが、スクーターを回して引き返すしかない。
あー、バカだバカだ!
右手で拳を作ると、敏美は自分の頭をコツンと叩いた。 軽くやるつもりだったのに、力が入って音がした。
「痛っ」
ついてないときは、嫌なことが重なる。 叩いた頭を今度はよしよしと撫でながら、敏美は大きく半円を描いてスクーターの向きを変え、エンジンをかけようとした。
そのときだった。 塀の隣に接した家の焦げ茶色の壁に、町内用の掲示板があるのが目に付いた。
清掃日のお知らせの隣に、宣伝ポスターが貼られていた。 日本舞踊の公演会のものだ。 渋い着物を着た男性が扇子を掲げ、ポーズを決めて写っていた。
敏美の視線が、ポスターの画像に吸い付いて離れなくなった。
うわー、似てる……! ピアノの上の写真にそっくり!
翼のことが頭から離れないから、そう錯覚するのかもしれないと思い、目をこすってからもう一度見返した。
それでも、やはり似ていた。 激似といってよかった。
誰〜この人?
ポスターの下にある名前を見ると、星芯流〔せいしんりゅう〕家元、谷中和一郎〔やなか わいちろう〕と記してあった。
五分後、ようやくアパートにたどり着くと、敏美は肩で大きく息をついた。
偶然の立ち聞きで変なことを耳に入れてしまい、人なつっこいだけだと思っていた佐貴子に裏の思惑があったことがわかった。
道に出れば、不可思議なほどその佐貴子夫人の夫そっくりのポスターに出会うし、今日は疲れる奇妙な一日だった。
早く風呂に入って、頭を思いっきりゴシゴシして、カップラーメンでも食って早寝しよう。
ポケットに手を入れ、うつむき加減でアパートの玄関から入ろうとした丁度そのとき、携帯が鳴った。
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