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夏は謎  -17- 誘われて




 道を見渡して、翼は言った。
「これからコンビニへ行って晩メシ買おうと思ってたんだ」
 それから敏美を振り返り、さらっと訊いた。
「もう食った?」
 敏美は首を振った。 ちょっと期待しながら。
「まだ」
「そう。 じゃ」
 少し間を置いてから、翼は一段とさりげなく誘った。
「どっかで食べてく?」
「そうね」
 やった! と内心ガッツポーズしながら、表面は普通に、敏美は答えた。


 どちらも運転中なので、酒の出るところは止めにして、近くに駐車場のあるファミレスに入った。
 翼は、カツカレーを注文した後、テーブルに腕を置いて、敏美の顔を眺めた。
「ちょっと疲れてない?」
「ああ……同僚が三人も風邪引いちゃって」
「大変だな。 生き物相手で体力の要る仕事なのに」
「うん。 今日はましなほうだけど。 昨日なんか九時過ぎまで公園駆け回ってた」
「きっつー」
 彼の口調には真面目さがあった。 その場限りのご機嫌取りじゃない。 敏美は、話し相手にちゃんと関心を持ってくれるその態度が好きだった。
「こんな不景気だから、文句言ってられないけどね。 自分で選んだ仕事だし」
「でも、過労になると風邪がうつりやすくなる。 気つけなよ」
「こっちまで倒れたらね〜。 会社に人いなくなっちゃう」
 笑いあったところで、頼んだ料理が運ばれてきた。
 桜色をしたチキンライスを前に置いて、敏美は尋ねた。
「木元さんも仕事の帰り?」
 翼はスプーンを止め、むせたように咳をした。
「木元さん……グーちゃんのことも木元さんって呼ぶんだろ?」
「そうだけど?」
「オレ友達にはそんなふうに言われたことないからさ、翼とかそういうのにしてくれ」
 敏美は当惑した。
 翼というのはいい名前だが、さんを付けるには向かない。 つばささん、とは言いにくい。
 黙ってしまった敏美に、翼は眉を上げた。
「だから、呼び捨てでいいし、嫌ならつばさくんとかつばさたんとかつばさやーんとか」
 敏美は吹き出した。
「つばさやーんって……」
「実際にそう言われてた。 小学校のときに可愛い子がクラスにいて、からかってたら、翼はイヤ、イヤーン、で、結局翼やーんになった」
「そういう黒歴史があったんだ」
「まあな」
 答えた後、なぜか翼は満足げに微笑んだ。







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