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夏は謎  -11- 祖母の話




 洗濯機が動いている間に、もう一つやることがあった。 敏美は腰につけたウェストポーチから細長い包みを出し、弟を置き去りにして廊下を急いだ。
 突き当たりのドアをノックすると、少しかすれた声が返ってきた。
「お入り〜」
「ただいま、イッコさん」
 伊都子〔いつこ〕という名前の祖母は、親戚中で昔からそう呼ばれていた。
 敏美はニコニコしながら部屋に入り、包みを差し出した。
「はい、ご注文の虎屋のようかん。 『おもかげ』だったよね?」
 伊都子は、パウダーブルーのショールをかけて車椅子に座り、グラジオラスが満開になった庭の一隅を眺めていたが、孫の言葉に振り返って、嬉しそうに手を差し出した。
「ありがとう! 昨日テレビ見てたら画面に和菓子屋さんが出てきてね、急に食べたくなっちゃったの」
「ほんとに小さいのでよかった? もっと大きなサイズのもあったけど」
「いいの、これで。 私だけでこっそり食べるんだから」
「誰にも分けないんだ」
「ふふふ」
 伊都子はいたずらっぽく笑い、傍の棚から小さな鋏を取って、ていねいに包み紙を開き、きちんと畳んだ。
「切ったげる。 お茶も入れようか?」
「ありがと。 敏ちゃんは生き物相手の仕事してるから、優しいわね、やっぱり」
「勇吾はダメ?」
 伊都子はふざけて、顔をしかめてみせた。
「だめだめ。 あっちは切り刻んでるんだもの」
 敏美は苦笑した。 勇吾は茨城にあるT大の医学部に現役合格している。 姉から見れば秀才だと思うのだが、なぜか伊都子は頼りない子供扱いしていた。
 伊都子の部屋にはミニキッチンが付属している。 そこには彼女専用の食器やカトラリーが置いてあった。
 敏美はレースペーパーにようかんを切って並べ、菊の模様の湯のみをニ個添えて、盆に載せて持っていった。
「私も一切れ食べていい?」
「いいわよ。 さあ座って」
 そうなるとわかっていた敏美は、小さな白いスツールに腰を下ろした。 伊都子は今年で七十八になるが、いくつになっても可愛らしく、ふわふわした小柄なフランス人形のようだった。 そして、そんな自分に合わせて、部屋も白とクリーム色を基調にしたメルヘン調にまとめていた。
「おもかげって、なんか雰囲気のある名前」
 竹のフォークで、上品に切ろうとして敏美が四苦八苦している間に、伊都子はさっさと口に運んだ。
「いいでしょ? 昔、好きだった人と一緒に食べたことあるのよ」
「へえ、おじいちゃん?」
「まさか」
 伊都子はあっさりと切り捨てた。








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