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夏は謎  -4- 不在の日




 翌日は土曜日だった。
 世間は休む人が多いかもしれないが、敏美の仕事は生き物が相手だ。 週末だからといって、餌や水をやらないわけにはいかない。 いたって普通にスクーターを転がして、お得意様を三軒回った。


 スタンドでバーガーサンドを買い、木陰のベンチで遅い昼食を取った後、午後のニ時きっかりに、敏美は木元家の大きな門を入っていった。
 外から大きな声を出すなと言われている。 だから昨日と同じに、鍵を開けて中に入ってから呼びかけた。
「宮坂ペットセンターです、こんにちは!」


 由宗がトコトコと迎えに来るのは、いつも通りだった。
 だが、その後が続かなかった。 おなじみになった車椅子の音がしないので、敏美は戸惑いながら、もう一度声をかけた。
「こんにちは、宮坂ペットセンターです〜」
 言い終わって、耳を澄ませた。
 返事はない。
 由宗の首筋を撫でながら、敏美は小声で犬に話しかけた。
「お母さん、いない? どこか行ったのかな?」
 ふと、不吉な想像が頭に浮かんだ。 家のどこかで車椅子が倒れ、佐貴子が目をつぶって床に横たわっている図だ。
 ぐずぐずせずに、敏美はスニーカーを蹴飛ばして脱ぎ、上がりかまちから廊下に突入した。


「ねえ、お母さんどこ?」
 最近の犬猫は家族扱いで、飼い主は○○ちゃんのママとかパパとか言われていることが多い。 日本犬の由宗と年配の佐貴子だと、やはり和風に『母』がふさわしいかなと思い、敏美はそう呼ぶことにしていた。
 由宗はごく普通に、敏美の横をいそいそと歩いている。 目つきも穏やかで、飼い主に何かあったとは思えなかった。
 それで、廊下の途中で敏美は急ぐのを止め、速度を落とした。
「心配ないのかな。 出かけただけ?」
 車椅子でも、ケアセンターから輸送車が来て、入浴や気晴らしに連れていってくれるのは知っている。 それなら昨日来たときに言ってくれればよさそうなものだが、きっと言い忘れたのだろうと、敏美は思うことにした。


 台所に入ると、由宗が珍しく舌なめずりしながら小さく吠えた。 お腹がすいているらしい。 午前中の食事をもらってないんだろうか。 敏美は再び心配になって、メモが置いてないかと長方形の台所をぐるっと見渡した。
 伝言は、どこにもなかった。
 敏美は散歩より先にフードを与えることにして、床の隅に重ねてあるボールを取った。 いつものレシピで、カリカリと一般に呼ばれているドライフードに鶏ササミとオーガニック野菜を混ぜてやると、由宗は嬉しそうに急いで食べた。
 彼は行儀のいい犬で、どんなに空腹でも食べ散らかしたりしない。 それに、家の奥にある庭が広くて放ったらかされているため、犬用の小さなドアから自由に出てトイレを済ませていて、ペットシーツを取り替える手間もなかった。
 食事の準備をすれば、後は暇だ。 敏美はしゃがんでいた姿勢から立ち上がり、左の壁についている裏口のガラス戸から、何気なく外を見ようとした。

 そのとき、目の端が何かを捕らえた。
 何か大きな、茶色の塊を。





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