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表紙

戻れない橋  77 過去の残骸


 正月の三が日、五十嵐はほぼずっと亜矢の家で過ごした。
 入りびたろうと思ったわけではない。 元日に挨拶に行ったところ、大歓迎された上、父の達郎が昔から写真を趣味にしていたことがわかり、男二人はカメラの話で盛り上がってしまった。
 五十嵐の父も若いときはずいぶんカメラにはまっていて、家には日本の逸品だけでなく、ライカなどの外国の歴史的名品が並んでいるという。 だから五十嵐自身の知識も相当なもので、付け焼刃ではなかった。
 それがきっかけになって、最初は距離を置いている感じだった達郎が、五十嵐に打ち解け始めた。 一方、最初から五十嵐がいい男だと喜んでいた母は、彼が好きだという料理を作りまくって、里心を呼び覚ました。


 結果、正月休みの間、よそへ出かける用事があっても、五十嵐は必ず亜矢のいる古藤家へ戻ることになった。 未来の舅、姑に対する義理も少しはあったが、それより何より居心地がよかったからだ。
 古藤の人たちは、彼と自然に接した。 うるさく構うことはなく、といって無視することもなく、彼が忙しくメールをチェックしていても、また一転して廊下で膝をかかえてぼんやり庭を見ていても、干渉せずに放っておいてくれた。
 長い間一人暮らしだった五十嵐に独特な習慣があるのを、三人とも本能的にわかっているようだった。 こういう包み込むような思いやりは、なかなか見つからない。 五十嵐はこの三日間で、家族というもののありがたさを、急速に思い出していた。


 新しい年の初出勤、亜矢はいつものように早く行こうとした。
 すると、五十嵐も客用寝室からさっさと起き出してきて、朝食のコーヒー作りを手伝った。
「一緒に出勤しよう。 お義父さん、お義母さん、お世話になりました」
 父は、いつものようにぎりぎりの時間までリビングにいて、ズボンに毛がつくのもかまわず、膝に乗ったミキの背中を撫でながら、おっとりと応じた。
「いつでも寄ってくれ。 部屋、空けとくから」
 母もニコッとしてうなずいた。 そして、父が玄関に行った後、あわてて追いかけていった。
「忘れ物! ほら、携帯とハンカチ」
「おう、サンキュ」
 大きな膝を無くしたミキは、すぐ五十嵐にすりよってきて乗り換えた。  ゴロゴロ言う喉を撫でて、五十嵐はつぶやいた。
「うちでも、猫飼おうか」
 たちまち亜矢は目を輝かせた。
「そうね、犬とちがって、留守番してもそんなに寂しがらないし」
「二匹飼えば、仲間同士で遊んで待っててくれるかもしれないよ」
「かわいいだろうな〜」
 早くも、亜矢はその光景を頭に思い描いた。




 会社では、新年早々から依頼が舞い込んでいた。 五十嵐は社屋に入ったとたん、職業人の顔になり、亜矢も仕事と雑用に追われた。
 そんな忙しい日々が週末まで切れ目なく続いた後、金曜の夕方に、ココアの新製品パッケージのデザインに取り組んでいた亜矢に、電話がかかってきた。
 驚いたことに、相手は隣の自室にいる五十嵐だった。 さりげなく立ち上がってワークルームの隅で出ると、低く緊張した声が聞こえてきた。
「たった今、ルリちゃんから連絡があった。 波谷の愛人だったっていう女が、逢いたいと言ってきたって」









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