表紙目次文頭前頁次頁
表紙

戻れない橋  74 思い切って


 亜矢は当惑しながらも、言いたいことは口にした。
「お二人は結婚できます。 そうなれば、お父様ももうどうしようもない」
 すぐに望月が首を回して、隣にいる千早を見つめた。 千早は激しくまばたきした後、ぽつりと言った。
「悟〔さとる〕さんに迷惑かけたくない」
 その瞬間、望月が世にも情けない顔をした。 千早の遠慮は、むしろ彼を不幸にしているとしか思えなかった。
 だから、五十嵐がちょっといらついた様子で口を挟んだ。
「ルリちゃん、望月にも言わせろよ。 勝手に決めないで」
「でも……」
「訊いてみなって。 ルリちゃんを全面的に取られるのと、結婚の面倒くささと、どっちがいいか」
 千早がまた口を開く前に、望月が素早く答えた。
「たいして面倒じゃないよ。 届け出すだけだと楽だけど、ルリちゃんがもしドレスを着たいなら」
「服はどうでもいいわ」
 反射的に答えてしまって、千早は我に返り、真っ赤になった。 望月は一瞬目を閉じて深く息を吸った後、千早の肩を抱きながら、五十嵐に感謝の視線を向けた。


 まさに、善は急げの状況だった。 五十嵐姉弟の父は、病院の跡継ぎとしての婿をあきらめていない。 相手が芸術家の望月ならカンカンになるのがわかりきっているので、五十嵐が急きたてて、とりあえず籍だけでも早く入れることにした。
 結婚届は、休日でも正月休みでさえも受け付ける。 あんなにぐずっていた千早でさえ、一度心を決めると勢いがついた。 そして翌日の午後には書類を揃え、前夫の死亡届を取った後、すぐ提出した。


 後でわかったのだが、まさに危ないところだった。 正式な夫婦になって六日後、五十嵐院長から千早の携帯に電話がかかり、波谷の死亡が正式に認められたから、紹介したい立派な男性医師がいる、連れて行くと、一方的に通告された。
 だが、もう千早もへたれてばかりはいなかった。 声が少し震えたものの、それでも堂々と父に言い返した。
「行けません。 その日は彼とお正月の買物をする予定で」
「彼?」
 電話の向こうから、父が怒鳴った。
「なんだ? おまえ勝手に男を作ったのか!」
「男じゃなくて、夫です!」
 負けずに千早が高い声で叫び返すと、怒鳴り声が止んだ。 さすがの父も、あっけに取られたらしい。
 少しして、気の抜けた声が伝わってきた。
「……夫だと? おまえ……」
「結婚しました。 もうこの年だから、お父様の承諾は要りません」
 この強気な返事に、父の怒りが倍になって爆発した。
「おまえ! 絶対許さないぞ! もう援助は打ち切りだ! 遺言からも外すからな!」
「どうぞ!」
 まるで新しい夫が財産狙いかのような言われ方をされた千早も、珍しく激昂〔げっこう〕した。
「マンションもお返しします。 これからは彼だけを大事にして暮らしますから!」
 怒りに任せて電話を叩き切った父は、少しして、娘の結婚相手の名前さえ訊かなかったことに気がついた。







表紙 目次 前頁 次頁

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送