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表紙

戻れない橋  69 未来のこと


 深夜近くになって、五十嵐は折り目正しく、自宅に帰ろうとした。 ビールを二本あけて、少々足元がふらついていたが。
 しかし、達郎とあずみが強力に引き止めた。
「これからお宅に戻っても、寝る時間がほとんどないわ。 今夜はうちでゆっくり休んで、英気を養ってください」
「そうそう。 客間は一応あるんでね。 四畳半の小さい和室だが」
「そんなお世話をかけては」
「世話?」
 夫婦は異口同音に叫んだ。 そして、達郎が代表で後を締めくくった。
「立派な息子ができそうでわくわくしてるのに、そんな遠慮して水ささないでよ」


 強引に泊められた五十嵐は、翌朝六時には起き出し、布団をきちんと畳んで着替えて出てきた。
 達郎と亜矢も、いつものようにもう起きていた。 最初リビングに現われたとき、五十嵐はちょっと眩しそうだったが、亜矢の家族がみんな普通に迎えたため、間もなくリラックスして一緒に朝食の席についた。
 彼らはもう特別扱いしなかった。 すでに五十嵐は客ではなかったのだ。




 職場が遠い父の達郎が、先に会社に出かけ、その半時間後に亜矢が五十嵐と玄関に立った。
「行ってらっしゃい」
 母が居間から出てきて、二人を等分に見ながら、そう言った。
「遅くなるときは電話してね」
「はい」
 亜矢が応じるのは普通だが、五十嵐まで返事した。 母は目を丸くした後、ひどく楽しそうになった。
「わあ、嬉しい! 五十嵐さんも知らせてくれるの?」
「ええ、送ってくるつもりなので」
 五十嵐はめげずに答え、ますます母を喜ばせた。


 電車の中で彼と並んで立っていると、だんだん胸がどきどきしてきた。 他の社員より早い通勤時間だから、途中の車内で会って気まりの悪い思いをすることはまずない。 それでも、婚約後の初出社は緊張した。
「今日、みんなに言う?」
 大きな体で亜矢を庇うように寄り添う五十嵐は、当然のように答えた。
「うん、発表する」
「仕事、しにくくなるかなあ」
「君の? そんなことないよ。 僕のほうはいろいろ言われそうだけど」
「え?」
「権力をバックに新人を追い込んだ、とか何とか」
「うそだ〜」
 亜矢は苦笑いした。
「そんなこと言われっこないでしょう? でも、その逆はあるかも」
「僕が君に迫られたって? ないない。 君がもてるのは皆知ってる。 たとえばテッ……」
 危ういところで言葉を呑み込み、五十嵐は具合の悪そうな表情をした。 彼がテッケンの名前を出したのに驚きながら、亜矢は話を元の軌道に戻した。
「昨日は相談できなかったけど、私、仕事続けたい」
「そうだよね」
 五十嵐はゆっくりうなずいた。
「経験を積み重ねて、一人前のイラストレーターになりたいの。 がんばったら、将来子育てするときも、家で仕事できるかもしれないし」
「お」
 五十嵐が、低く喉に詰まった声を出した。
「子供、ほしいな。 めちゃくちゃかわいがるぞ」
 それは、自分たち姉弟に与えられなかった普通の家庭に対する憧れが、思わずにじみ出た口調だった。







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