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表紙

戻れない橋  64 前途多難か


「俺達、これからコドちゃんとこに行くよ」
 ノンアルコール飲料をグッと飲み干してから、五十嵐は親友に言った。
 望月はグラスを持って、手の中で回しながら、ぽつりと尋ねた。
「千早さんには? ちゃんと言ったか?」
「ああ、さっき電話で知らせた。 喜んでくれた」
「でも、寂しいだろうな」
 ずばりと指摘された五十嵐の動きが、一瞬止まった。
「ああ…… だけどきっと、コドちゃんのこと好きになってくれると思う」
 半分ほど入ったグラスを穴が開くほど見つめたまま、望月はざらついた声で更に訊いた。
「なんなら、オレが説明しに行っても?」
 五十嵐はすぐ答えた。
「頼む。 悪いな」
 そして、いつも持ち歩いている大型のバッグを掴むと、笑顔になって付け加えた。
「ついでに、真際さんにも言っといて。 今日、古藤さんは早退しますって」
「言っとく」
 男同士で軽く拳を突き合わせた後、望月は奥のドアへ、恋人たちは表の出口へ、それぞれ向かった。




 それから約一時間後、自宅の前に立ったとき、亜矢は生まれて初めて、足が震えるのを感じた。
 さっき電話して以来、母がどんなに迷い、悩んだか、予想がついた。 これまでほとんど何でも打明けて、一卵性双生児親子だと父にからかわれるほど仲が良かったのに、肝心な恋の本命をまったく知らされなかったというのはショックだろう。
 私だってこんな展開は予想もしていなかった、と、亜矢は思った。 まだ現実感がないくらいだ。 横に立つ五十嵐があまりにも立派で、急に遠い人に見える。 夕方の空に晴れ間ができて、並んで立つ二人の影が斜めに頼りなく延びているのが、よけい不安をかきたてた。
 そのとき、大きいほうの影が動いて、亜矢の肩に腕が回った。 そして、低い声が囁いた。
「びびらないでくれよ。 強引なのはわかってるけど、もう二度と離したくないんだ」
 二度と離したくない──すばらしい言葉だった。 胸の奥にその余韻を深くしまいこんで、亜矢は玄関を開け、はっきりと声を出した。
「ただいま!」
 一拍の間を置いて、居間から母が現われた。 いつもの普段着より少し上等な服装をしていた。
「おかえり」
 それから、あがりかまちに座って、五十嵐にきちんと頭を下げた。
「いらっしゃいませ。 亜矢がいつもお世話になっております」
 五十嵐は珍しく先を越された。 緊張を隠せない表情になり、ぎこちなくバッグを肩から外して最敬礼した。
「五十嵐悠吾です。 突然押しかけてきて申し訳ありません」
「いいえ、こんなところでは何ですので、どうぞお上がりになってください」
 うわ、何だ?
 スリッパを揃えながら、ちらりと母の顔を見て、亜矢は笑っていいのか泣いたほうがいいのか、わからなくなった。
 母は怒っている。 バカ丁寧な応対をして五十嵐を困らせ、ちょっとした憂さ晴らしをやっているのだった。








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