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戻れない橋  60 押しが強い


 電話の画面からは、かけてきた相手はわからなかった。 でも、もしかしたら仕事の依頼かもしれない。 亜矢は素早く飲み物を配り終えると、席に戻りながら携帯に出た。
 とたんに、挨拶をする間もなく、呼びかけられた。
「亜ー矢ー? 私。 だーれだ?」
 亜矢は上目遣いになった。 聞き覚えのある声だが、思い出せない。
「え〜と」
「小城田。 小城田将美〔おぎた まさみ〕よ〜」
 ああ、学校の同窓生だ。
 派手な美しさを持つ小城田の顔を、亜矢は思い浮かべた。
「久しぶり。 元気〜?」
「うん、元気だよ。 それでいきなりだけど、亜矢さぁ、今日の昼、五十嵐社長とお手々つないでたんだって?」
 それは、軽くからかうような口調の下にうらやましさが見え隠れした、複雑な質問だった。
 亜矢は一瞬虚を突かれた。 だがすぐ気持ちを立て直し、はっきりと答えた。
「うん、仲良しなの」
 この言い方なら正直だし、周囲にいる同僚の注意を引くこともない。 亜矢としては精一杯考えた回答だった。
 小城田のほうも、あまり素直に認められたのでびっくりしたようで、返事が少し遅れた。
「あ……そうなんだ、やっぱり」
 そこから気を取り直し、早口になった。
「職場の人、もう知ってる?」
 正直な亜矢は、そうだとは言えなかった。 すると小城田は鬼の首でも獲ったようになった。
「でもそれじゃ困るでしょ? あんなにチームワークがいいって言われている会社じゃない? それを亜矢が乱しちゃ」
 亜矢は反論しようとしたが、小城田は一気にまくしたてた。
「だから、うまく収めてあげるよ。 私そういうのうまいんだ。 だから頼む、五十嵐社長に紹介して、ね?」


 小城田は何が狙いなのだろう。
 亜矢は首をひねった。
 彼女が代表に興味を持っているのは、同窓会で聞いた。 ハーフムーンに入社したくてうずうずしているのも。
「なんで会いたいの?」
 率直に尋ねると、小城田の忍び笑いが聞こえた。
「えー? 今言ったじゃない」
「言わなかったほうを聞きたい」
 亜矢は声をやや冷たく変えた。 日頃は気配りよくしているが、いざとなると強気にもなれる性格だった。
 小城田は少しためらった後、本音に切り替えた。
「私ね、テッケンさんの携帯番号知ってるのよ。 話したら、亜矢を見る目が変わるかも」
「やめといて。 そんなの」
 亜矢は軽く受けながした。
「みんな忙しいんだから。 それより、週末にでも会わない? そのとき詳しく話そう」
 申し出が受け入れられたと、小城田は思ったらしい。 声がやさしくなった。
「わかった。 木曜にまた電話するね」
「じゃ、そのときに。 バイバイ」
 大げさな小城田の別れの挨拶を我慢して最後まで聞いて、亜矢は静かに電話を置いた。


 誰かが雨の街で偶然に二人を見かけた。
 その誰かはとても口が軽く、面白がって電話をかけまくるか何かして、噂を広げているらしい。
 そんな軽薄な暇人が社内にいたら、空気がとっくに変わっているはずだ。 だから内部の人じゃない。 美術学校の卒業生か、五十嵐代表がもてると聞いている小城田の知り合いだろう。
 とりあえず週末まで、小城田が押しかけてくるのは防げた。 でも会社の仲間たちにどう話せばいいか、代表と早めに相談しないと、妙にもつれたら困る予感があった。


 機会は午後にやってきた。
 四時近くになって、髪をかき乱した五十嵐がドアから半身を乗り出し、飲み物を頼んできたのだ。
「煮詰まった。 コーヒーの濃いの頼みます」
「はい」
 渡りに舟だ。 亜矢はすぐ給湯コーナーに飛んでいった。






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