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戻れない橋  54 皮肉な結果


『悠吾は、四時半に戻ってきました。
 そして、叔父の病院に着く前に、波谷の呼吸が止まってしまったと言いました。
 私はショックで気を失いそうになりました。 でも悠吾は、とっさにできるだけのことをしてくれたのです。 波谷を道路の端に寝かせ、歩道橋から落ちたふりをして、通行人に救急車を呼んでもらったのですから』


 それを聞いて、千早は波谷が救急措置で助かったら、病院で何をしゃべりだすか、そっちの方も怖くなった。
  だが結局、波谷は絶命した。 犬に襲われてソファーから転がり落ちたとき、テーブルの縁か脚で頭を強く打って、重い脳挫傷〔のうざしょう〕を起こしたのだろう。


『悠吾は車で裏口から入り、帰りは表玄関から出て、自分のアパートに戻りました。 だから近所の人も、初めから弟だけが遊びに来ていたと思ったはずです。
 皮肉な結果ですが、そう思わせるのが波谷の計画でもありました。
 翌日、身元不明の青年が転落事故で死んだという地元ニュースがあった後、私は寝込んでしまいました。 テレビ画面に波谷の似顔絵が出たからです。
 遺体を引き取りに行くべきだと、もちろんわかっていました。 でも、普段はきちょうめんな医者なのに、あんな弟そっくりな格好をして、あんな所で何をやっていたのか、警察に訊かれて説明できるでしょうか。 それにすべて正直に話したとして、果たして信じてもらえるでしょうか。
 事故なら遺体をそのまま荼毘〔だび〕に付しますが、事件だと疑われたら、きっと解剖されるでしょう。 そうなれば、麻薬でふらふらになっていたのではないことがわかって、ますます怪しまれます。
 それで結局、何もできないまま、ただ運命を待っていました。 波谷が無断欠勤を長く続けていれば、病院から警察に届けが出るだろうと思ったのです』


 ところが、五十嵐病院長は二ヶ月経っても、捜索願を出さなかった。
 後でわかったところによると、冷酷な殺人計画を実行する前から、波谷は様子がおかしかったらしい。 勝手な早退や欠勤が続き、大事な手術の前に連絡が取れないこともあったという。
 愛人がいるのも知れ渡っていた。 彼女のマンションから病院に通っている有様で、波谷が無断で休みはじめてから三日後、仕方なくその貸しマンションへ人を差し向けたところ、四日前に解約されていることがわかった。
 だから当然の結論として、その女と駆落ちしたのだろうということになっていたのだ。


『父は私の気持ちを考えて、なかなか知らせられなかったらしいです。 自分が紹介して太鼓判を押した婿なだけに言い出しにくくて、波谷が後悔して戻ってくるのを、しばらく待っていたようでした。
 でも事実は、たぶん波谷がその女性に振られたのだと思います。 彼女が出ていってしまったので、波谷はやけになって、前からあたためていた殺人計画をやる気になったのでしょう』


 交番に張り出された波谷の似顔絵は、ずっと千早と悠吾を苦しめた。
 しかし、心当たりがあると名乗り出る人は一人もなく、やがて波谷はお骨になって、八年後に公共施設へ葬られることになった。
 彼の実家は、五十嵐病院長が行方不明を知らせたとき、ほとんど関心を示さなかったそうだ。
「大学出てから、ほとんど連絡なかったんですよ。 電話もないし、年賀状もよこさない。 妹が結婚するからって、一応招待状出したのに、それにも返事くれなかったんですからね」
 父親は苦々しげに説明して、どうしようもない、という表情を見せたということだった。







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