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戻れない橋  43 寂しい自覚


 うわ……!
 亜矢は目を覆いたくなった。 彼がちゃんと売約済みだと、真際さんに知らせたかったのに。
「嘘でしょう?」
「ほんと。 僕の繊細な神経も、とうとうブチ切れちゃってね」
 なーにが繊細な神経だ。
 横で真際がそしらぬ顔をしながら、目の端で剣持の印象的な姿を感心したようにうかがっていた。
 そこへ入ってきた電車に、三人とも乗った。 剣持は真際に軽く頭を下げて、勝手に自己紹介していた。
「剣持といいます。 浦和にある製薬会社に勤めてます」
 そして、名刺まで渡した。
 目をしばたたかせながら、真際も社用の名刺を出して交換した。
「どうも初めまして。 あら、坂上製薬って、あの大手の?」
「まあまあです」
「部長さんですか。 その若さで」
「いや、経営者の親族なんで。 実力じゃないですから」
 そう話しながら、背の高い剣持は、感心して名刺を眺める真際の背後から亜矢を見て、片手でOKサインを小さく作ってみせた。
「真際さん、彼女と同じ職場なんですね?」
 確認の質問に、真際は何も怪しまず、明るく答えた。
「ええ、いい後輩ですよ〜。 礼儀正しいし実力あって」
「良かったね、亜矢ちゃん。 認めてもらえて」
 亜矢ちゃんだと?
 亜矢は沸騰しそうになって、要領のいい剣持を睨み上げた。
 マフラーを押し付けられて買った夜、二人はごくありきたりの世間話をしただけで、お互いのことはほとんど語らなかった。
 亜矢のほうは、もちろん用心していたからだ。 関川兄弟の悪仲間との事件があって以来、行きずりの男性とあまり親しくなるのは避けていた。
 剣持もあの夜は、自己紹介したい気分ではなかったようなのに、今になって亜矢の背景を知りたくなったらしい。 うまく真際から名刺を巻き上げて、勤務先を調べてしまった。
 こういうのをプレイボーイというんだろうか。
 押しの強いタイプは、好きではなかった。 むっつりしている亜矢を尻目に、真際は剣持と、のどかに当りさわりのない会話を交わしていた。


 東大宮の駅に着いたとき、亜矢はようやく肩の力を抜いた。
「楽しかったです、真際さん。 じゃ、またね、亜矢ちゃん」
 にこにこしながら挨拶して、剣持はスマートに降りていった。
 ドアが閉まると、真際は怪訝〔けげん〕そうに亜矢を眺めた。
「あのハンサムさんと、喧嘩でもしたの?」
「いいえ。 ほんとに友達じゃないんです。 なんであんなになれなれしいんだろ」
「婚約破棄したって言ってたね」
「それは多分、本当でしょう」
 亜矢は溜息をついた。
「でも、自由になってホッとしたみたいな態度は、やーですね〜」
「確かに、明るすぎるかも」
 真際は苦笑した。
「だけど彼、見かけほどスレてないと思う。 むしろかわいいよ、私みたいなおばさんから見たら」
 亜矢は首をかしげた。
「おばさんって……。 でも、そう思いました?」
「うん。 キミにもっと近づきたいって気持ちが、ばっちり見えた」
「それは、本気じゃないですよ。 ちょっとした気まぐれというか」
「用心深いね〜」
「え? まあ、そうかも」
 だってやっぱり、五十嵐さんとは比べものにならないもの。
 亜矢は胸をかきむしられるような気がして、暗い窓に顔をそむけた。 剣持がどんなに爽やかな美形でも、彼とキスする自分がどうしても想像できなかった。






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