表紙目次文頭前頁次頁
表紙

戻れない橋  39 開き直って



 何もかも明るかった。
 実家では父母が結婚二十五周年の旅行を計画しているし、職場では注文の数がうなぎ登りで、入社一年足らずの亜矢にさえ、時々おいしい仕事が回ってきた。 出来上がりは必ず、真際か五十嵐代表がしっかりチェックしたが。
 少々厳しいことを言われても、亜矢は落ち込まなかった。 いいよいいよとおだてる人は、実は無関心なのだと、両親に言われていたからだ。
「絵だって経験と腕が必要な職人仕事っていう面があるだろ。 注意されて上達するんだ。 もちろん意地悪は別だが、亜矢なら見分けがつくはずだよな」
 だから直しには全力をかけ、上司のOKが出るまでがんばった。 やり甲斐のある仕事と、認めてくれる仲間がいる、いい会社だと自覚していた。


 しかし最近、疲れが出ているのも事実だった。 遅れて来た五月病、というのとはちょっとちがう。
 亜矢は寂しいのだった。
 親たちは仲良し。 真際夫妻が手を繋いで帰る姿も目撃した。 なのに年頃の亜矢は、もうじき恋人の季節の十二月が来るにもかかわらず、またも幻に報われぬ想いをささげていた。


 雷鳴にかこつけて五十嵐代表に寄り添ったとき、亜矢の気持ちはまだ憧れにすぎなかった。 だがあのキスで、ひとっ飛びに気持ちの隔てが消えた。 亜矢はまるで手に触れたように、彼の心を知った。
 信じられないことに、五十嵐のほうも亜矢に近づきたいと願っていたのだ。 彼も私に惹かれている。 そう思うだけで心臓が不規則に高まり、ぼうっと目頭が熱くなった。
 だがそれなのに、五十嵐はその直後、断固として代表の仮面をかぶってしまった。 会社の和を守るため、部下には手を出さないと決意しているのだ。
 私を好きでも、気持ちの強さはその程度なんだ。 仕事のためなら簡単に我慢できちゃうぐらいに。
 これはさすがに口惜しかった。 実体のないものを慕うのは、パツキンさんだけで沢山だ。
 十一月の末、クレーマー的顧客のもとへ四日に三回も駆けつけて、ようやく仕事をまとめた帰り道、遂に亜矢は午後の曇り空を見上げて、周囲の眼もかまわず、はっきりと宣言した。
「もういい! 適当に見つくろって、クリスマスまでにBF見つけてやる!」
 適当に見つくろって、というのは、父の口ぐせだった。 母が夕食の献立に困って相談を持ちかけると、面倒くさくなっていつも言う。
「いいよ何でも、適当に見つくろって。 あず子の作るものは、全部口に合うから」


 すると間もなく、亜矢のやむにやまれぬ願いに応えるように、一人の男性が現われた。
 ロマンチックとはまったく言い難い状況だったのだが。






表紙 目次前頁次頁

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送