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戻れない橋  38 仲良し夫婦



 やがて戻ってきた五十嵐代表は、急な仕事に関わった社員たちにおごると約束し、次いで全職員に発表した。
「このところ順調に仕事依頼があります。 リピーターも多く、クチコミもずいぶん増えてきました。 顧客が顧客を呼ぶという、いい展開になっています。
 これはすべて、皆さんの誠実な努力の成果です。 そこで、いい仕事は報われるという流れを守るために、現在の基本給に応じて一割、昇給させてもらいます」
 どよめきが広い室内に広がった。 十パーセントの賃上げとは気前がいい。
 まだ話は終わっていなかった。 みんながしゃべりだしそうなのを手で抑えて、代表は続けた。
「ボーナスも少し増やせると思いますが、増額分は当社の株式でお支払いします」
 こんどのざわめきは、もっと大きくなった。
 驚いた前原が、小学生のように挙手して身を乗り出した。
「上場するんですか?」
 五十嵐はかすかに笑った。
「ええ、二部に」


 これでハーフムーン工房は、また成功の階段を登った。
 株式上場すれば社会的信用が高まり、企業としての価値が上がる。 代表を信じてついてきた社員たちに、安堵感と喜びが広がった。
 亜矢も嬉しかったが、別の感慨もあった。 会社は整備されて大きくなり、新入社員が増えるだろう。 今の家族的な雰囲気が、いつまで続くだろうか。
 五十嵐が自室に入った後、高畠が考え深そうに言った。
「これで代表も会計雇うだろうな。 いろいろ面倒になるから」
「今までみたいに外注じゃなく?」
「そう。 だんだんフツーの会社になる」
「隣のオフィス、借りるかな」
「そうなるといいよな〜。 もう一押ししてみる?」
 その工藤との会話を、亜矢が聞くともなく聞いていると、受付ロビーに通じるドアが開いて、ヒゲを生やした男性の大きな頭が覗いた。
 最初に見つけた河内が、陽気に声をかけた。
「あ、真際さん、お帰りなさい!」
 真際さん?
 亜矢が振り向くと、横から真際かれんが立ち上がり、いそいそと戸口へ向かった。
「早かったね〜。 これから迎えに行こうと思ってたのよ」
「そうだろうと思って、こっちへまず来たんだ。 一つ前の飛行機が取れてさ」
 亜矢は目をぱちくりさせた。 しっかりしていて優しいかれんの結婚相手が、このクマさん?
 ダボッとしたコートを着た真際氏は、おもしろい形の帽子を脱いで、社員たちに挨拶した。
「お久しぶり。 みんな明るい顔してますね」
「昇給したんですよ、たった今」
「へえ、それはめでたい」
 真際氏はニコニコして背中の大きなリュックを外し、中からリボンで縛った袋を取り出した。
「スペインの焼き菓子です。 うまかったんで、食べてみて」
「それはどうも。 みんな、真際さんのお土産!」
 口々にお礼が寄せられ、真際氏は日に焼けた顔をほころばせて手を振ると、なんとその手でかれんの手をしっかり握った。
「それで、もううちの奥さん連れ帰っていいですか?」
「どうぞどうぞ。 今日はもうみんな上がりですから」
「だって。 さあ帰ろう」
 かれんは照れて、夫の手をそっと外そうとしていたが、クマのような旦那さんは見かけに似合わずかわいい笑顔のまま、妻をしっかり掴まえて放さなかった。
「ちょっと〜。 帰るならバッグ持ってこなくちゃ」
「よしよし」
 それでも離れず、二人して中に入ってくる。 河内がにやにや笑って見ていた。
「じゃお先に」
「お疲れさま〜」
 一斉に声が飛んだ。


 亜矢はその晩も、用心棒を兼ねた昆野と一緒に帰った。 彼は河内と違ってそれほど真際氏と親しくないようだが、それでも彼が何の職業かは知っていた。
「カメラマン、それに登山家。 けっこう有名なんだって」
「奥さんと仲いいね」
「外国に行ってることが多いから。 たまに会うと新鮮なんじゃない?」






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