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戻れない橋
26 一緒に歩く
会社に着くと、亜矢はいつものように、道具類を置いてなくて拭いてもかまわないデスクをそれぞれ拭き、給湯コーナーの備品を点検してから、自分の席についた。
テッケンは、ブラインドを上げてワークルームを明るくした後、資料の棚を盛んに探して、次の仕事の準備をしていた。
すると間もなく、風のように五十嵐代表が入ってきて、亜矢のほうに進んできたが、棚の前に立つテッケンに気づき、足を止めた。
「お、テッケンさん、早起きした?」
「おはようございます、五十嵐さん」
五十嵐は社内で社長と呼ばれるのを嫌い、普通に名前で呼んでくれと申し渡していた。
「古藤さんにも話したんですが、ぼくも新入社員だから、やっぱり早く出てくるべきかと」
「気を遣わないでくださいよ。 これは両方に言っています。 もちろん、仕事熱心でいいことですが」
そう言うと、代表は柔らかい眼になって亜矢を眺め、わずかに微笑んだ。
「じゃ、今日も仕事がんばっていきましょう」
「はい」
新入社員二人で、声を合わせて答えた。
代表は早めに来て、昨夜のことを私と話したかったんじゃないか──亜矢はそんな気がした。
もしそうなら、たまたま今日がんばって早出してきたテッケンさんが、ちょっぴりうらめしい。 亜矢は彼に見えないように口を尖らせ、しかめっ面をした。
でも結局、そうがっかりすることにはならなかった。
その日は残業になり、亜矢は八時近くまで会社にいて、途中で親に遅くなると電話した。
最終の仕上げは真際と高畠しかできないため、七時四十五分には帰れたが、また一緒に帰る人がいなくなった。
今度こそ、からしスプレーの出番だ。 亜矢はバッグの中ですぐ取り出せる位置にスプレー缶を移し、気合を入れて、廊下に出た。
だが、そのまま一人ではなかった。 エレベーターに乗る寸前に、五十嵐代表が走ってきて、滑り込んだ。
「奴らが嫌がらせする気なら、今夜が一番危ない。 駅まで送るよ」
亜矢は息を吸い込んだ。 嬉しさがパーッと心に広がって、胸が弾んだ。
「ありがとうございます!」
子供のような笑顔になった亜矢を、五十嵐は精悍な表情で見返し、ほんの一瞬微笑んだ。
駅に行くまでの道筋、亜矢は体がやけに軽く、スキップしたいぐらいだった。 あいつらが出てきたら、また代表のノックアウトが見られるかな、と、ちょっと期待までしてしまったが、すぐ自分を叱った。
あの連中は、女の子をさらうにも二人がかりで来るという卑怯者だ。 今度来るなら、もっと仲間を増やして現われるかもしれない。
だが、いつもはバスに乗るんです、とは、どうしても言えなかった。 代表と並んで、駅まで歩きたかった。
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