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戻れない橋  24 助けた人は




 あっけに取られている亜矢の背後から前に、長い影が伸びた。 そして、聞き覚えのある声が、妙に低く響いた。
「そっちも一発かましてやろうか、え?
 まとめてサツに突き出して、婦女暴行と誘拐未遂でムショ十年か」
 胸を抱えていた男は、ドスのきいた声の持ち主を一瞬見上げてから唇を震わせ、路面を這って仲間をずるずる引きずりながら、しゃにむに四駆へ押し上げると、あっという間に発車させた。
 亜矢はバッグを拾い上げ、手に持ったまま、後ろを見上げた。 そこには思ったとおり、五十嵐代表が立っていて、右手の拳を握ったり開いたりして感触を確かめていた。


 急いで立ち上がろうとして、亜矢はよろめいた。 全力で男の足に飛び降りたせいで、左の踵が取れかかって、ぐらぐらになっていた。
 右足一本で危なっかしく立ちながら、亜矢は息を切らして代表に礼を言った。
「ありがとうございました!」
 五十嵐は黙って左手を出し、亜矢に掴まらせた。 それからいきなり言った。
「靴脱いで、手に持って」
 さっきのとっさの反撃でもわかるように、亜矢は反射神経がいい。 すぐ靴を脱いでから素早く拾うと、五十嵐に引っ張られるまま横道に入り込んだ。
 そこへバタバタと靴音が響き、関川の興奮した高い声が聞こえた。
「ここですー。 ここで女の子を強制ナンパしようとしてて」
 彼は逃げたのではなく、警官を呼びに行っていたのだ。 関川についてきた二人の警官は、近くにいた人々に事情を聞いていた。
 亜矢は振り向こうとしたが、五十嵐は手を離さず、狭い路地をぐんぐん進んで、別の街路に出た。 その道も大通りで、きらびやかな店が並んでいた。
「えぇと」
 一渡り眺め回した後、五十嵐はスーパーを見つけて、普段の口調で言った。
「間に合わせにスニーカー買って帰る?」
「あ、はい」
 踵の取れかかった靴に足を入れながら、亜矢はできるだけ元気に応じた。


 店まで行く短い時間に、亜矢は経過を説明した。
「知り合いにたまたま会って、一緒に駅まで歩いていたんです。 そのとき急に車が来て、男が二人降りてきて」
「そうか」
 代表はそれだけ言い、後は何も訊かなかった。
 その日、亜矢はややゆったりした麻のパンツスーツで通勤していた。 だから、ベージュのスニーカーを試してみると色合いがぴったりで、違和感なく帰れることがわかって、ほっとした。
 ただ、店を出がけに一つ気になった。
「あの」
「え?」
「道に座りこんじゃったんで、どこか汚れてません?」
 五十嵐は立ち止まり、一度回ってみて、と言った。 そして、どこも汚れてないと亜矢を安心させた。
 店から駅まで、五分ぐらいだった。 構内に入る手前で別れたが、そのとき、五十嵐が尋ねた。
「怪我した?」
 亜矢は首を振った。
「いいえ、全然」
「よかった。 それなら、家で言わないほうがいいと思う。 ご両親に心配かけたくないからね。
 警察に届けなかったのも、そのためだ。 あいつらはもう近づいてこないよ。 肝のある奴らじゃないから。 でも念のため、こっちで何とかする。 車のナンバー見ておいたし」
  亜矢は嬉しさに身震いしそうになりながら、五十嵐の言葉に聞き入った。 不安はすっかり消え、代表を信じる気持ちだけが残った。
 注意し終わると、きりっとした五十嵐の顔が、一瞬笑いに崩れた。
「すごいキックだったね」
「ああ、あの」
 亜矢は慌てた。
「小学校のとき近所で誘拐事件があって、友達と練習したんですよ。 土つかんで投げて目つぶし、とか、必殺キックとか足踏みとか」
「それもいいけど、人がいるところでは叫ぶのが一番だよ」
「はい」
 まさにそうする寸前だったことは、言わないでおいた。






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