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表紙

戻れない橋  22 過去の誓い




 予約もなにも、亜矢はこれまで本気で男子と付き合ったことが一度もなかった。
 交際を申し込まれたことは何度かある。 でも、みんな断ってしまった。 そのせいで、レズじゃないかなどとからかわれたことがあったが、無視した。
 中には素敵な男の子もいた。 しかし、特別大事な相手を作ると思うと、いつもたじろいでしまう。
 付き合ってほしい、と言われるたび、決まって脳裏にひらめく映像があった。 柵の上から高い悲鳴を上げて、落ちていく男の姿だ。 春風に金髪がなびいて、まるで流星のようだった、あの姿。
 今思うと、あれが初恋だったのかもしれない。 パツキンさんはダメ男だったと人は言うだろう。 でも、彼には魅力があった。 やぶれかぶれの生活を送っていたにしても、目には力があり、心には優しさが残っていた。
 彼が子猫を稲妻のような勢いで救った瞬間、亜矢は溢れる愛情を彼に感じた。 あの瞬間は、相手が男でも女でも、抱きつきたいと思った。
 それなのに、束の間の交流はあっという間に断ち切られ、彼は冷たい死体になってしまった。 しかも、誰一人彼の死を悼まない。 誰も彼を探さず、迎えにも行かず、パツキンさんは無縁仏となった。
 あのとき一緒にいた北川摩湖でさえ、たぶんもう彼のことを覚えていないだろう。 ああ、昔そんな事件があったな、ぐらいで。
 だけど私は忘れない。 一人だけでも、彼のことを覚えていよう。 そう思ったときに、パツキンさんは亜矢にとって、特別な存在になったのだった。


 あれから、九年ちょっと経ってるんだな。
 改めて気づいた。 育ち盛りの子にとって、長く起伏に富んだ九年間だった。
 成人式が終わり、大人の準備ができたのかもしれない。 だから、好きになってもすぐ失うんじゃないかという恐れが薄れ、新しい憧れが芽生えた……
 でもな〜、その相手が、どうよ。
 亜矢は現実に引き戻されて、無意識に唸った。
 ぼそぼそ歩く横にまだ並んでいた関川晃路が、耳ざとく聞きつけて顔を向けた。
「どした? 自分と歩きたくない?」
「ちがうよ。 今日、会社で」
「あ、なんかヤなことあったんだ」
 晃路は突然はりきった。
「なら飲みに行こう。 すっきりするよー、グチ言ったら」
「それは無理。 人に言える話じゃないし」
「お客と喧嘩した? コーヒーぶっかけたとか?」
「そんなこと、するわけないですよぅ」
「じゃ、ねちねち叱られた?」
「それもない。 ただちょっと、がっかりしたんだ」
「がっかり?」
「そう。 尊敬してたのに、意外なことしてた」
「へえ」
 晃路は横から身を乗り出してきた。
「どんな? 使い込みとか?」
「まさか。 もうこれ以上は話す気ないから」
「そんな〜。 そこまで話して止めるなんて」
「ごめんね。 ほら、もう駅だし」
 亜矢がそう言ったのと同時に、車道側から空気が揺れた。 ジープ風の四輪駆動車がすぐ脇で急停車して、すぐドアが開き、男二人が続いて降りた。






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