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表紙

戻れない橋  21 出会いあり




 その日、亜矢はずっと、普通に振舞うよう気を遣った。 幸い、五十嵐はほぼずっと自分のオフィスに入って、仕事に打ち込んでいたため、他の社員と話しながら通り過ぎるのを二、三度見ただけで、直接向き合うことはなかった。


 夕方になると、残業のない社員はぽつぽつ帰りはじめた。 社では日曜日だけが完全休日で、土曜日は交代で出社し、仕事依頼も受け付けている。 亜矢にとって、その金曜日は次の日も休みになる嬉しい二連休の前の晩だった。
 いつもならうきうきするところだが、その夜は気持ちが波立っていた。 おまけに、普段は誰かが一緒に会社を出るのに、その夕方に限って一人ぼっちになってしまった。
 悪いことは重なるもので、いつもなら次々と来るバスが、どういうわけかなかなか現われない。 亜矢はかんしゃくを起こして、バッグを肩に揺すりあげると、広い街並みを歩き出した。
 週末で、街にはどこか浮かれた雰囲気があった。 歩道をたどると、ブティックで服選びをするカップルや、レストランで談笑している若い男女が、明るい店内でやけに目についた。
 むっとなって視線をそらすたび、朝の光景がよみがえってくる。 葉の陰から盗み見した二人は、実に似合いだった。 抱き合う姿が自然で、五十嵐代表のジャケットを軽く掴む指にも、遠慮はなかった。
 なのに、足を引きずるようにしてとぼとぼと歩いているうちに、亜矢はあんな美女と自分を置き換えて空想していた。
 代表の腕にすっぽり入り、肩に顔を載せたらどんな気持ちだろう。
 彼とキスするときには、顔をどっち向きに倒すのかな……。
 首が自然に傾いていくのに気づいて、亜矢があわてて姿勢を正したとき、背後からポンと肩を叩かれた。


 亜矢はどきっとして固まった。 足も自動的に止まった。
 すると、後ろからひょろっとした姿が前に回りこんで、おどけて両手を胸の前でモミジのように開いてみせた。
「こんばんは〜。 久しぶりっ。 自分のこと、覚えてる?」
 ああ、関川兄弟のどっちかだ。
 赤毛カツラの兄か、金髪の弟か。 とっさに思い出せなかったので、亜矢は無難な線で行った。
「関川さん」
 相手はごまかされなかった。
「そうだけど、どっちだ〜?」
 この気だるい物言いは、たぶん弟。
 亜矢はあいまいに笑って、言ってみた。
「晃路〔こうじ〕さんでしょ?」
 目の前の顔がネオンのように輝いた。
「そう! 仕事帰り?」
「うん」
「直帰?」
「そうだよ」
「もったいなーい。 週末やんか。 少しだけ付き合ってくんない?」
「あ、悪いけど、お母さんが料理作って待ってるから」
「おぅ、なんて親孝行! てか、子供じゃないんだから」
「子供だよ。 私は母と父の子供」
「それでいいの? 金曜の夜なのにいい子ちゃんして、まっすぐ家に帰るしかないん? 寂しいねぇ」
「いいじゃない。 そんなにあおったって気にしないよ。 私は私だもん。 じゃね」
「あっと待った!」
 晃路は本気で焦った様子だった。
「ごめん。 気分悪くした? 意地悪言ってごめんね。 ただちょっと、話したいだけだったんだ。 古藤さんってこんな可愛いじゃない。 誰かに予約されちゃう前に、何とかしないと」






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