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戻れない橋
20 悲しい会話
亜矢はギョッとなって立ち止まった。
二人は顔を寄せ合って動かない。 まだ自分が見えていないのは確実なので、亜矢はとっさに横へ入る通路に避けたが、目だけ出してそっと覗くのは止められなかった。
角の窪みに置いてある観葉植物の間から見ていると、五十嵐代表が顔を上げて、女性の肩を両手で掴んで軽く揺すった。
「つらいのはわかる。 でも、もう吹っ切れよ」
女性はうなだれたまま、長いストレートヘアーの間から、細い優雅な首を見せていた。 顔は斜め後ろ向きになっていて、ほとんどわからない。
「そうしたい。 だけど、あそこにいる限り、どうしたって逃れられない。 私は悠ちゃんみたいに強くないから」
「強いよ。 ただ、いい人すぎるんだ」
「そんなんじゃない」
「そんなんなの。 あの家が嫌なら、追ん出ればいいよ」
「でも」
「奴の金が使えないっていうんなら、オレが出す」
「とんでもない!」
彼女が大きく首を振ったため、つやつやした髪が左右にうねった。 きれいな髪の毛だなぁ、と、不本意ながら亜矢は感心した。
「悠ちゃんにこれ以上迷惑かけるなんて、できない。 ごめんね、泣きごと言いに来て」
「いいよ、そんなに気ィ遣うなよ。 ルリちゃんにはオレだけなんだから」
何だと〜〜?
亜矢はのけぞりかけた。
話の断片を継ぎ合わせると、このルリさんとかいうひとは、誰かの金で生活している。
つまり、奥さんなんだろう。
で、心苦しいから家出したいと考えてるらしい。 だが、他所に住むお金が足りない。
その費用を、五十嵐代表が出してやるつもりなのだ。 しかも、ルリちゃんにはオレだけって……!
不倫か? フリンなのか?!
もう聞いていられなくなって、亜矢はじりじりと後退し、エレベーターの近くまで戻った。
そのとき、カツカツというヒールの音が前から近づいてきた。 亜矢はあわてて、さもエレベーターから降りたばかりのように、ショルダーバッグをかけ直して足を踏み出した。
やってきたのは、さっきの女性だった。
すばらしく美しい。 眼を泣きはらしていなければ、もっと綺麗に見えただろう。
亜矢が目に入ると、彼女はハンカチを顔から降ろし、軽く会釈した。 つられて亜矢も、ぺこんと頭を下げた。
負けた。
勝負したわけでもないのに、全面的にそう感じた。 あんな優雅な大人の女性に、新卒ドタドタの自分が叶うわけない。
歩いていくと、五十嵐代表がズボンのポケットに両手を入れて、窓から外を眺めているのに出くわした。
彼は亜矢に気づいて、すぐ向き直った。
「おはようございます。 早いね」
ごく普通の態度だった。 ポーカーフェイスもいいところだ。
「おはようございます」
懸命に平静を装って、亜矢は明るく答えた。 立ち聞きしてたなんて、絶対に悟られたくなかった。
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