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戻れない橋  19 初仕事万歳



 翌週の初め、小学校向きの読み物の装丁を引き受けた真際かれんが、出版社での打ち合わせに亜矢を連れていってくれた。
 それはキタキツネを主人公にした牧歌的な話で、亜矢は読んでいてとても惹きつけられたので、意見を求められたとき、ためらわずに言った。
「これは子供だけじゃなく、私達の年代でも好かれると思います」
「童話を好きな若い女性、多いですからね」
 我が意を得たといった様子で、編集者が原稿を指で叩きながらうなずいた。


 四日後に、挿絵の試作品を持っていったときも、亜矢は一緒だった。 作者の瀧井冬子〔たきい ふゆこ〕は、構図だけでなく微妙な色やタッチの風合いを喜んで、雪原にたたずむキツネ親子の絵にしばらく見入っていた。
「ぜひ真際さんにお願いできたらと思っていたんですよ。 自然保護のポスターでキツネとウサギを描かれていたでしょう? もう惚れこんじゃって。
 雪がまた綺麗ですねぇ。 先入観では一面の白なのに、こんなに淡い色を重ねて描くわけですか。 時間帯も夕方だってよくわかるし。 朝とは違うわ」
 真際はニコッと笑って、亜矢を振り返った。
「背景と木は、こちらの古藤亜矢ちゃんにやってもらったんです。 筆づかいが繊細で、いいんですよ。 いかがですか?」
「ええ、いいですね、本当に。 おたくの工房ではどんどん賞を取ってらっしゃると聞いたけど、才能ある方が次々と現れるのね」
 たしかに風景画には少し自信があったものの、商品になると認めてもらったのは初めてだ。 嬉しさに亜矢は頬を染め、礼を口ごもりながら頭を下げた。


 優しい中にインパクトのある挿絵だと高評価が出て、試作の線で残りを描くことが決まった。
 亜矢は、挿絵画家として売出し中の真際のアシストをやれただけで嬉しかった。 しかし真際は律儀で、製本するときに小さな字ながら亜矢の名前も載るようにしてくれた。
 気温がうなぎのぼりになる七月終わり、ハードカバーの本になった童話を手にしたときの感激は、一生忘れないだろう。
 約束どおり、真際の名の下に細く亜矢の名も書かれていた。 バッグに入れるのがもったいなくて、亜矢は家に戻るときもずっと胸に抱え、さりげなく見せびらかした。


 すばらしいことに、その童話は新聞の書評欄に選ばれ、一部の書店のお勧め図書にもなって、売れ行きは上々だった。
 プロ生活の出だしから、なんて縁起がいい。 亜矢は密かに浮かれ、両親はすっかり親ばかぶりを発揮して、亜矢に本を持たせて両側を固め、記念写真を撮影した。
 派手に輝く夏の太陽の下、すべてがうまくいくように思えた。 八月半ばの、ある小雨の日までは。
 四日間あぶら照りが続き、げんなりしていた週末の金曜日、ようやく雲がたちこめて、気温が少し下がった。
 日焼けしやすい亜矢は、このクソ暑いのに薄い手袋をはめて通っていたが、久しぶりに外せるのでうきうきしながら、いつものように早めに出社した。
 会社の階でエレベーターを降り、歩き出したとき、思わぬものが目に入った。 バルコニー状の出窓になった明るい通路の空間で、女性が五十嵐代表の肩にもたれ、顔を伏せて目を閉じていた。








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