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戻れない橋  17 外見と実力



 不思議なほど仲間の噂話をしない会社の先輩たちと違い、同窓会はゴシップの嵐になった。 それはそれで面白かったが、亜矢の頭は初めて聞いた五十嵐代表のあれやこれやで一杯になり、他の情報はみんなキャパの範囲外へ弾きとばされた。
 代表は三一歳で、まだ独身だった。 具体的に浮いた噂はないが、陰でスマートに付き合っているのではないかと言われている。 
 外資の自動車企業のパンフレットを受け持って、いきなり注目された才能の持ち主で、イタリアに一時留学していたそうだ。

 小城田〔おぎた〕は、突然話に割り込んできた後、亜矢を突っついて社内での五十嵐の様子を聞き出そうとした。
「どんなって、ふつうに仕事してるだけだよー。 社長室でデザインして、顧客が来れば出てきて挨拶して」
「そんなのどこだってやってる。 一緒に飲みに出たりしないの?」
「歓迎会をやってくれたけど、ちがうテーブルで、私はテッケンさんや真際さんと話してたから」
「テッケン!」
 小城田が耳元で歓声を上げたため、亜矢は思わず耳をふさいだ。
「やめてー、鼓膜が痛む」
「テッケンって相澤さんだよね? ハーフムーンは彼も手に入れたの? 私も行きたいな〜。 ね、亜矢、職場交換しない?」
「しない」
 冗談とわかっていても、亜矢はきっぱりと言い切らずにはいられなかった。


 少なくとも、同窓生の半分が亜矢をうらやんでいた。 最初に考えたより、ずっといい会社に入れたらしい。 亜矢は就職運動での調査が足りなかったと後悔した。
 そして、私って運がいいんだ、と嬉しくなった。




 それからは、ますます会社に通うのが楽しくなった。
 仕事はまだほとんど雑用で、これからもそんな日々がしばらく続きそうだ。 でも亜矢は急がなかった。 雑用だって、きちんとこなせれば会社の戦力になる。 親が家事と常識を仕込んでくれたことを、亜矢はつくづくありがたいと思った。
 その上、密かなもう一つの楽しみもあった。 ワークルームに入れば、五十嵐代表に会える。 会うといっても、近くから見るというだけだし、下っ端にはあまり言葉もかけてもらえないが、彼がいるというだけで気持ちが盛り上がった。
 こんなことは初めてだった。 恋というより憧れなんだろう。 アイドルという言葉の本当の意味、偶像として、亜矢は五十嵐代表を慕うようになっていた。
 たいていの人は、第一印象が良くても次第にアラが出て、普通の人間に見えてくる。 だが、五十嵐は違った。 すっきりした見かけと静かな歩き方、それに常識的な目立たない服装のせいで、適度に印象的で感じのいい青年重役に思える。 しかしそれは、彼の真価を隠す仮装にすぎなかった。
 直接ワークルームを訪れる客の少なくとも三分の一は、五十嵐を説得して直接の仕事を依頼しようとしていた。 なぜもっと実務をやってくれないんです! と露骨に直談判するクライアントまでいた。
 そんなとき、五十嵐は客の好みに応じたデザイン帳を出してくるか、または画面に出力して、大体の方針を決め、後は部下に任せる。 そのデザインが五十嵐オリジナルのものだということを、亜矢はやがて知った。
 つまり五十嵐は、自分のアイデアを惜しげなく後輩に公開して、彼らの作品として出すのを許しているのだ。






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