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戻れない橋  13 もう一人は



 相澤は照れ笑いをうかべ、ぼそっと説明した。
「ほんとは鉄也〔てつや〕っていうんだけど、子供のときからテッケンってしか言われなくてね、それで屋号にしました」
「屋号?」
「うん、ペンネームってかね」
「ああ」
 亜矢はやっと納得が行った。 この相澤という人は、すでにある程度名が通ったデザイナーかイラストレーターなのだ。
「お名前、知らなくてすみません。 失礼しました」
「え?」
 相澤は目を見張った後、今度は嬉しそうな笑顔になった。
「いや、知らなくて当然ですって。 最近やっと仕事になってきたとこだから。 でもそんなふうに言ってもらえると。 キミ礼儀正しいですね」


 というわけで、半時間後に社長がドアを開けたとき、相澤と亜矢はすっかり打ち解けて話し込んでいた。 亜矢が目を輝かせてまじめに聞くので、相澤テッケンは口が軽くなり、それまでの仕事での経験談を気持ちよく語っているところだった。
 ドアの音で二人は口をつぐみ、急いで立ち上がった。
「おはようございます」
「おはようございます、社長」
 五十嵐は妙に真面目な表情で二人を見つめ、慎重な声で挨拶を返した。
「ハーフムーンへようこそ。 これから社員の皆さんとの顔合わせです。 さあ、こっちへ」


 受付から二番目のドアが、メインのワークルームだった。 床は薄いベージュ、デスクは白で統一されていたが、椅子とパネルには様々な色が使われていた。
 あちこちで、忙しく立ち働いている人々が見えた。 紙や布を切ったり裂いたりしてコラージュしている者、画面を一心に操作している者。 楕円形のデスクを囲んで、デザイン画を見ながら話し合っているグループ。 大半は三十代以下だが、数人のベテランも混じっており、時流に乗っている企業特有の活気が感じられた。
「すいません、ちょっと注目!」
 五十嵐の澄んだ声が響き、社員たちの顔が上がった。 中には作業に夢中で、逆にかがみこんだ人も三人ほどいたが。
「今年も新しく二人が入ってくれました。 相澤テッケンさんと、古藤亜矢さんです。 テッケンさんは第十四回森羅賞受賞者で、古藤さんは新卒。 協力とご指導よろしく」
 社長にうながされて、テッケンはペコッと頭を下げ、自己紹介した。
「相澤テッケンです。 今まで……」
 そのとき、奥のパネルの裏から、それまで見えなかった頭がひょいと覗き、しぶい声がした。
「よう、テッケン。 久しぶり」
「あ」
 相澤は目をぱちぱちさせて視線を凝らした後、ひどく嬉しげになって、デスク間の狭い通路を小走りに、奥へ進んでいった。
「望月さん! こないだはどうも」
 パネルの裏から現われた、もう一人の社長らしき男は、五十嵐とはまったく違うタイプだった。 長髪に縞模様のバンダナを被り、無造作に羽織ったネルのシャツにはあちこちに絵の具のしみが散らばっている。 典型的な芸術家って感じだなー、と、亜矢はある意味感心してしまった。





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