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戻れない橋
12 初出勤の日
知らない子たちを見て、亜矢は少し用心した。 関川兄弟とは、街で会って一度話しただけだ。 完全に信用しているわけではない。
「ほら、みんな待ってるよ。 じゃ、またね」
「え?」
急に話を打ち切られた関川賢太は、焦った様子で呼びかけた。
「家、この近く?」
「そうでもない」
亜矢は笑顔だけを残して、さっとレジに行った。
自転車を飛ばして帰った後、料理の手伝いをしながら亜矢は母に、スーパーでの巡り逢いを話した。
「関川くんは前と同じで感じよかったけど、連れの男の子たちがこっちじろじろ見てて、あんまり明るくなかった」
「お休みで騒いで、疲れてたんじゃない?」
「そっかー」
一応納得したが、割り切れない気分が残った。 賢太と話しているところを見たんだから、目が合ったときニコッとするか、手を挙げるぐらいしてもいいんじゃないか。 なんで睨むような顔してたんだろう。
それが新年三日のことだった。
五日からはいよいよトライアル出勤だ。 亜矢は通勤用の服を前の日から揃え、翌朝は雨や雪が降りませんようにと願いながら、天気予報を見た。
美人の予報官によると、翌日の天気は典型的な冬型で、晴れて空気はからからに乾燥し、明け方の気温は一度、最高気温でも七度だそうだ。 亜矢はコートにブラシをかけ、ブーツを並べて、会社で履きかえる軽い靴をバッグに詰めた。
緊張と期待のせいで、まだ真っ暗なうちに目が覚めた。 温かい布団の中で、目覚ましが鳴るのを待ちながら、亜矢は好きな仕事に就けた喜びを噛みしめていた。
苦労するだろうというのはわかっていた。 競争が激しい職種だし、才能と根気が必要だ。 少なくとも三年は下積みの補助職を覚悟しろと、教師からも言われている。
でも、学校でやったようなシミュレーションを越えて、現実に身を置ける。 とろいと言われることの多い私としちゃ、がんばったじゃない? と自分褒めして、元気を胸に溜めこんだ。
そして出社。 三十分早くオフィスに入ると、今回は緑のピアスを長く垂らした受付さんが、満面の笑顔で迎えてくれた。 今度は前に置かれたネームプレートを見る余裕ができたので、彼女の名前が原〔はら〕なずなだとわかった。
「おはようございますっ、古藤亜矢さん!
はい、道案内書。 古藤さんのデスクの位置と、ロッカーや化粧室の場所なんかが書いてありますよ。
新人さんがもう一人いますから、三番のドアから入って、一緒に待っててくださいね。 間もなく五十嵐代表が来て、皆さんに紹介しますから」
至れり尽せりだ。 亜矢はきちんと礼を言い、示された部屋に向かった。
ドアを開くと、ずんぐりした青年が小ぶりのソファーに座って、熱心に『道案内書』を読んでいた。 亜矢より年上で、二十代後半に見える。 亜矢は息を吸って、明るく挨拶した。
「こんにちは、古藤亜矢です」
相手はあわてて立ち上がり、その勢いで膝から書類がすべり落ちた。
「やぁ、どうも。 相澤〔あいざわ〕テッケンです」
「テッケン?」
とても風変わりな名前に、亜矢は思わず復唱してしまった。
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