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表紙

戻れない橋  3 形見の子猫


 集まっていた人々は、少しの間話し合っていた後、潮が引くように元の場所に戻り、また普通の日常が始まった。
 亜矢と摩湖も、とぼとぼと家路をたどった。 人が死ぬのを目の前で見たのは、二人とも初めてで、衝撃は隠しきれなかった。
 手を伸ばして、少し元気を取り戻した感じの子猫の背筋を撫でながら、摩湖が寂しげに言った。
「かわいそうだったね。 無理に引っ張り降ろしに行かなきゃ、渡りきってたかも」
「どうかな」
 亜矢は、やっとの思いで答えた。 かわいそうと同情するより、辛かった。 いくらクスリが入っていたって、あんなところによじ登るほどハイになってしまった彼が、憎らしかった。
「バカなことして。 かわいそうなのは、お父さんやお母さんだ」
「まあ、たしかにそうだけど」
「きっと頭がサルになったんだ」
「先祖返り? そうか、サルなら軽くバランス取れるね〜」
 クスッとなりかけて、不謹慎だと思い、摩湖はあわてて笑顔を呑み込んだ。


 家に帰り着くと、ちょうど母が夕方の買物に出かけようとしているところだった。
 まず子猫を見て眉を上げ、しょげた感じの娘の話を聞いているうちに、十五分がすぐ過ぎた。
 摩湖の提案に従って、牛乳を温めて与えると、仔猫はあわてすぎてヒゲで水滴を飛ばし、喉に詰まらせてくしゃみしながらも、必死で飲み干した。
「あれれ、もうなくなっちゃった。 ずいぶん食べてなかったみたいね。 たしかミミちゃんの缶詰が残ってたはずだけど」
 台所の戸棚に向かいながら、母のあずみは聞いたばかりの話を確認した。
「それで、金髪の不良っぽい男の人が、その子を助けてくれたのね?」
「そう」
「なのに、勢いで歩道橋の手すりに上がっちゃって、すべって落ちたの?」
「うん……」
 母は、猫用のペースト缶を探し当て、爪で開いて皿に空けて猫の前に置いてから、娘の肩を抱き寄せた。
「きっといい子だったのにね〜」
 亜矢はまばたきした。 すると不意に、それまで出なかった涙がにじんできたため、もう一度激しくしばたたいた。
「お母さんもそう思う?」
「思うよ。 いくつぐらいだった?」
 えぇと。
 亜矢は顔をしかめ、間近に見た彼の顔を脳裏に思い浮かべた。
「二十歳〔はたち〕ぐらい。 たぶん」
「その人も、この猫ちゃんが幸せになるのを見たいだろうな」
 子猫は息継ぎも忘れて、鶏肉のペーストに顔を突っ込んでいる。 母は亜矢の背中をポンと叩いてから、腕を離した。
「お父さんに飼っていいかって頼んでみよう。 ミミちゃんが亡くなって、一年半経ってるから、もうそろそろ代わりがほしい頃だもの」
「お父さん、ミミに夢中だったからね〜」
「もう猫はいい、なんて言ってるけど、この子を見れば、哀れになって許してくれるんじゃない?」
「じゃ、獣医さんに連れてっていい?」
「そうね。 一緒に行こうか」
「わぁ、よかった!」
 亜矢はいくらか明るくなって、元気に立ち上がった。








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