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道しるべ  246 命乞いの手


 初めてイアンの表情が動いた。 石のような固さが少し消え、代わりに揺らめくものが表れた。
「戦争捕虜?」
「その通りだ」
「だとすれば、高額な身代金を払わなければ解放されないかと」
「それもその通り」
 クリントは豪快に言い切って、イアンの目を見つめた。
「イザベル様の父親ドヴィール伯は、こちらに書状を送って前の伯爵に身代金を要求した。 だがそのとき前伯爵は病が重く危篤状態で、館の執事は無能なカーソンだった。 奴は何も決められずにおたおたしたあげく、やけになって金目の物を持ち出して逃げてしまった」
 いつの間にか、ざわざわしていた大広間は人の足音が絶え、静まり返っていた。 立ち働いていた使用人たちは皆、初めて聞く領主の窮地に耳をそば立て、仕事をするどころではなくなっていた。
「事情を知らないおれたちは、何がどうなっているのかわからないままで放っておかれた。 何しろフランス語の手紙が読めるのは、書記と上級の坊主と、ほんの一握りの貴族だけだからな。
 だから若殿が外国人の奥方を連れて戻ってこられたときは、おれたちもひどく失望したさ。 あの方が目に見えない足かせに縛られているのを知るまではな」


 見えない足かせ……。
 イアンの口元が引き締まり、一本の線のようになった。 彼はクリントを信頼していた。 だから、クリントの言葉なら素直に胸にしみこんできた。
 ようやくわかった。 サイモン・カーは虜囚だったのだ。 故郷に戻ってきたとはいえ、常に周りをフランス兵に取り巻かれ、自由な行動はほとんど何も取れなかった。
「身代金が届かないと知ったとき、ドヴィール伯は容赦なく若殿を殺そうとした。 そこを命乞いしたのが、若殿に首ったけになっていたイザベル様だ。
 イザベル様は、密かに魔女だと囁かれるほど薬草に詳しかった。 それで若殿に一服盛り、半ば意識を失わせて、自分の床に引き入れた。
 たぶんベラドンナを少量使ったのだろう。 若殿はもうろうとして、イザベル様をウィニフレッド様と錯覚したと、後でおっしゃっていた。
 身ごもるまでそれを続けた後、イザベル様は父親に申し出て、若殿の妻になると宣言した。 もちろんドヴィール伯は激怒したが、薬草使いの娘に怖さを感じていたようで、けっきょく許した」
 そのときの子が、長男のゴードンなのか。
 『魔女』イザベルの執念に、イアンは背筋がひりつくような怖れを感じた。










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