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表紙

道しるべ  240 間に合うか


 手紙を懐に押し込み、イアンは全速力で裏階段を駆け下りた。
 もう日は沈んでしまった。 誤解で無駄に時を過ごしているうちに。
 愛されていたという歓喜と、もう手遅れかもしれないという恐怖に引き裂かれて、イアンの逞しい身体は緊張に震えていた。


 イアンは長い脚を駆使して、二分とたたぬ間に裏庭を斜めに横切った。 だが、大きくそびえた樫の古木の近くには、人影はなかった。
 枝の下で立ち止まると、イアンは強く息を吐いた。 半時間前なら、そこで諦め、がっくり膝をついたかもしれない。 しかし手紙を読んだ今の彼は、新たな希望に突き動かされ、精気に満ちていた。
 イアンはすぐ足元の地面を調べ始めた。 薄暮の中でも、昔鍛えた密猟の足跡探しの腕は落ちていなかった。 ジョニーは小柄で体重も軽いが、それでもかすかな靴の跡が土の上に残っていた。


 珍しいほど雲のない、晴れ渡った夕べだった。
 ゆっくりと暮れていく空は、菫色から次第に濃さと暗さを増していた。 もうじき月の光を頼りにしなければならないほど真っ暗になるだろう。
 ジョニーは肩掛けで首筋を覆いなおし、もう一度頭を垂れて、心の中で別れを告げてから、石の墓標の前で立ち上がった。
 地元で採れる灰色の石で造られた新しい墓石は、礼拝堂の横に二つ並んでいた。 この荘園を任されたとき、イアンが真っ先に行なったのは、ジョニーの異母兄ジャン・ミシェルと、塩の存在を教えてくれた女スパイのマリーを、ここに弔うことだった。
 二人の遺体は、この土の下にはない。 だがジョニーはイアンの行為を知って、その優しさに感激した。 兄もきっと、彼の心意気に感謝して、ここで魂を休ませるにちがいない。 そう思って、よく墓参りをし、墓石に悩みや喜びを語りかけてきた。
 それも、今日が最後だ。 イアンは来なかった。 あんなに勇気を振り絞って書いた手紙は、無駄になった。
「しかたないわ」
 自分に何度も言い聞かせた言葉を、ジョニーはもう一度繰り返した。
「このまま知らないふりをして、あの人の傍にいることもできた。 決めるように頼んだから、あの人は決断したのよ」
 じかに言わなくてよかった。
 もう、そう思うしかなかった。 言いたかったことは山のようにあるのに。 寝起きの彼の顔が幼児のようにかわいいこと、うなじの生え際が巻き毛になっているのが好きでたまらないこと……
 これからぐっすり眠る日は来るのだろうか。 夫の横で目覚める朝に、ジョニーは慣れすぎていた。 彼がいなくて、どうやって安心して休めるのか。
 いや、どうやって生きていけるのか……
 死、という不吉な言葉が脳裏を占領する前に、ジョニーは急いで十字を切り、兄の墓に別れを告げた。
 そして頭を垂れて歩き出した。


 その耳に、駆けてくる足音が聞こえた。
 首を回す気力もなくて、ジョニーは地面を見つめたまま、ゆっくりと歩きつづけた。 どうせ、門に行くのが遅れたハウエルが、慌てて駆けつけているところだろうと思った。
 だから、音の主が自分をめがけて走ってきて、いきなりドンとぶつかったときには、息が止まるほど驚いてよろめいた。










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