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道しるべ  234 不安な兆し


 イアンはそのまま馬に乗って、風のように荘園へ戻った。
 もう退路は自分で断ってしまった。 できるだけ早く国王の元に行き、男爵を拝命するしか道はない。 すぐ旅の支度をしようと思いながら、笑顔で迎えに出た門番のハウエルを見ると、ちくりと心が痛んだ。
 誰にも相談をせずに、伯爵の申し出を勝手に断ってしまった。 それでも召使たちは、同じヨークシャーで貴族の使用人に格上げされるとなれば、たぶん喜ぶだろう。 しかし、妻のジョニーには……。


 玄関から入ると、すぐジョニーが迎えに出てきた。 彼女もハウエルと同じく微笑んでいたが、どこか寂しげな影があった。
「おかえりなさい。 モードに会えた?」
「ああ、ロザモンドの無事を伝えたら、とても喜んでいた。 明日にここへ飛んでくるそうだ」
 それから次の言葉を言うのに、イアンは無意識に妻の視線を避けていた。
「カー伯爵に、おれを息子と正式に認めると言われたが、断った」
「そう」
 柔らかいジョニーの声は、乱れなかった。
「気持ちはよくわかるわ」
「王様の申し出を受けて、アレスベリー男爵になるつもりだ。 伯爵になれば君と釣り合いが取れるのに、すまないことをしたと思う」
 ジョニーは手を差し伸べて、イアンの頬を撫でた。
「フランスでは伯爵よ。 サンコンタン伯爵領を継いだのだから」
「現フランス王が認めるかどうか問題だがな」
 そう答えながら、イアンは妻の背中に手を回して抱き寄せた。 ジョニーに触れていると心が安らぐ。 婚礼を挙げてから、二人はずっと大きなベッドで共に寝ていた。
 ジョニーの頬と唇にキスした後、イアンは耳元で囁いた。
「こうなったらここに長くはいられない。 すぐロンドンに向かう。 伯爵も、おれが旅に出ている間にここの住人を追い出すような真似はしないだろうから、残るか、それともおれと一緒に行くか、決めてくれ」
 腕の中の身体が一瞬強ばった。 その感覚が伝わってきたとき、イアンは突然、不吉な予感に襲われた。
 ジョニーの動きは、何かの兆しとも呼べないほどかすかなものだった。 だが、イアンの心は突如信じられないほど敏感になり、不安にざわめいた。
 彼女はまた、おれから離れていこうとしている。
 それが、直感的にわかった。










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