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道しるべ  231 幸福と憂鬱


 そろそろイアンが部屋を辞して出ようとすると、モードが引き止めた。
「それでロザモンドは……トムのところにいるの?」
「はい、彼と一緒にわたしの家に」
 モードはうつむき、意味なく手の甲を見つめた。
「行っていいかしら? ええと、明日にでも」
 イアンは微笑した。 すると、めったに出ない笑窪が頬に浮かんだ。
「お疲れでなければ、いつでもどうぞ」


 イアンがいつものすっきりした足取りで立ち去った後、メアリが息を弾ませて言った。
「あの笑顔、素敵ですねえ。 あんなお顔を向けられたら、誰だってくらくらっとしそう」
「そうね、私には初めて見せてくれたわ。 六年前だったら嬉しかったんだけど」
 そう答えてから、モードは弾けるように笑い出した。
「でも、もういいの。 ああメアリ、私、すごく幸せだわ!」




 階段をすべるように駆け下りていたイアンは、カー伯爵の小姓に発見されて、道をふさがれた。
「サー・イアン。 殿様がお呼びです。 すぐおいでください」
 イアンは、さっと無表情になった。 だが口調は穏やかに応じた。
「わかった。 案内してくれ」
 小姓は前に立ち、小鹿のように軽やかな足取りで、上ってきたばかりの段を下り始めた。


 今度イアンが呼ばれたのは、小広間ではなく、伯爵の私室だった。 伯爵一家は中央塔の三階をまるまる使っていて、彼が通されたのは明るく飾りつけられた表の間だった。 家具は薄茶色で統一され、白い壁には羊毛で織ったタペストリーがかかっている。 二枚で一対の図案になっていて、奥のは森で白い一角獣が少女に頬をすり寄せているところを描き、窓の横にかかっているのは、この館を背景に日の当たる草地で少年たちが遊んでいる図案だった。
 この家庭的な趣味は、おそらく母のウィニフレッドのものだろう。 そう思うと、イアンはかすかに胸が痛むのを覚えた。


 彼が部屋に入って間もなく、奥の部屋へ通じる扉が開き、伯爵が現われた。
 出てきたのは伯爵だけではなかった。 ゆったりした栗色とベージュのドレスをまとったウィニフレッドと、その手に掴まったよちよち歩きの女の子も、彼の後から姿を見せた。
 










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