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道しるべ  220 目には目を


 気がつくと、ヴィクターが当てにしていた脇の戸口には、どこからともなく現われた番兵が二人張り付いていて、通り抜けられなくなっていた。
 ヴィクターの逃げ道は、これで断たれたことになる。
 だが彼が降参する気配はなかった。 歯茎を大きく剥き出したまま、モードを更に強くたぐり寄せて、ヴィクターは虚ろな笑い声を立てた。
「ではここで行き止まりなんだな。 わたしはとっくに用済みで、跡継ぎの代理でさえなかったわけだ。
 だが喜ぶのはまだ早い。 あの世へ行くために、いい道連れがいる。 ずっと好きだった女と行けるなら、地獄も楽しい」
 そう言い捨てるや、ヴィクターは短剣の刃をモードの首に当てて、勢いよく引こうとした。
 同時に、鋭く空気を引き裂く音が部屋をつらぬいた。 そして次の一瞬、長弓の矢がヴィクターの眉間〔みけん〕に深く突き刺さり、勢い余ってぶるぶると揺れた。
 まったく声を発しないまま、ヴィクターは全身の力を失った。 藁人形のようにくたくたと崩れ折れる体から、モードが顔を歪めて飛びのいた。


 耳のすぐ横で弓を引きしぼる音を聞いたイアンは、撃ったのがトムだと悟った。
 誰もが言葉を失って立ち尽くす中を、トムは静かに歩いていき、領主の前に弓を置いて膝をついた。
「命令もなしに殿様のご子息の命を奪いました。 どのようなお裁きでも受けます」
 カー伯爵は、いくらか青ざめた顔を上げ、単調な声で言い返した。
「では他に、どんなやり方があったというのだ?」
 二人の視線が空中で交差した。
「ヴィクターはモードを手にかけようとした。 そなたは彼女の命を救うために、撃つしかなかったのだ。 それに、同じような死に方をしたゴードンも、おそらく事故ではなかったはずだ。
 兄夫妻を暗殺する人間が、正しい領主になれると思うか? ヴィクターは指導者の器ではなかった。 こうなるのは神の思し召しだったのだ」
 伯爵は、わざわざ身を屈めて弓を取り、腰に差した精巧な短剣を抜いて添え、トムに返した。
「良心のとがめを感じる必要はないぞ、トマス・デイキン。 そなたの忠義をありがたく思う」


 そのとき、脇の戸口がざわめいて、伯爵夫人ウィニフレッドの顔が覗いた。 被り物が乱れて、ほつれた金髪が片耳を覆っている。 心配でいてもたってもいられない様子が見てとれた。
 衛兵の制止を振り切って早足で入ってきたウィニフレッドは、まず床に倒れたヴィクターを目にして胸に手を当て、顔をそむけた。
 十字を切った後、ウィニフレッドは奥に立つ夫を見つけて何ともいえない表情になった。 こんなに安心してとろけたような顔になる母を、イアンはこれまで見たことがなかった。
 妻に応えるカー伯爵の表情も、過去にないものだった。 めったに笑わないといわれる彼が、白い歯を見せて満面の笑顔に変わったのだ。
 そして驚いたことに、妻に向かって大きく両腕を広げた。 ウィニフレッドは無言で立つモードの横を走り、一直線にその腕めがけて飛び込んだ。











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