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表紙

道しるべ  205 崩れる予兆


 いつもなら、無事に館に着いて馬を下りれば、そこで別れる。
 だがその日は、初めての親しみが二人を包んでいた。 すげなく去るにしのびなくて、イアンはモードを送って、正面玄関まで足を運んだ。
 空模様は怪しかったが、まだ本格的に降り出してはいなかった。 それで、時折落ちる小雨をものともせず、騎士や傍仕え、商人や職人たちが活発に前庭を行き交っていた。
 そんな人々の中で、イアンとモードが親しげに話し合いながら歩む姿は、一段と人目を引いた。 周りの注目を浴びているのに気付かず、二人は賑やかな周囲の雑音を避け、顔を寄せて互いの言葉を真剣に聞き取ろうとしていた。


 豪華な玄関広間に入っても、二人は離れなかった。 深刻な話に夢中だったため、ゆるやかな階段を上がりかけたとき、モードの足が長いスカートの裾にからまって、よろめいた。
 すぐにイアンのしっかりした腕が、彼女を支えた。 モードも彼の肩に手をかけて掴まり、新たな涙で曇りかけた眼で見上げた。
「ありがとう。 あなたがいなければ、私どうしたらいいかわからなかったわ」
 イアンは胸を打たれた。 ずっと一人っ子で育ったが、もし妹がいればこんな気持ちになったかもしれない。 彼はそのまま腕を伸ばし、モードを抱えて額にそっとキスした。


 モードの部屋の前で別れを告げるときも、彼女は離れがたい様子で、メアリに促されてしぶしぶドアを開いた。
 それからすぐ振り返り、念を押した。
「明日また来て。 お願い。 どうなったかわからないうちはきっと眠れないと思うの」
 イアンはかすかに震えるモードの手を強く握って、なんとか宥〔なだ〕めようとした。
「来ます。 必ず」


 階段の更に上、立派な彫刻つきの扉の陰から、人影が目だけを出して覗いていた。
 暗く光る一対の眼差しが、部屋の前で繰り広げられるやりとりを、じっと食い入るように見つめた。
 モードが名残惜しげにイアンの手を離れ、寂しそうに部屋に入るのを見届けた後、影はシュッという蛇の威嚇のような唸り声を上げてから、低く呟いた。
「結局、あの尻軽がすべてぶち壊してくれたな。
 こうなったら早く実行するしかない。 目に物見せてやる。 思い知れ!」












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