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道しるべ  202 謎の逃亡劇


 イアンは言葉もなく立ち尽くした。
 何てことだろう。 愛してるんじゃないか。 こんなに深く。 こんなに真剣に。
 でも、モードはどこかで間違った。 トムを怒らせてしまった。 悲しむことはあっても、人を嫌ったのを見たことのない、あのトムを。
「トムが出生のことを知ったのは、いつです?」
「フランスから戻ってきて間もなくよ」
 モードは肩を落として、大きく溜息をついた。
「彼のお兄さんも戦場にいたの。 弟があの有名な射手だったと知って、びっくりしていたわ。 僧院からいなくなったと通知があってから、ずっと探していたんですって。 別名でセント・ジェームズに預けられたのを知らなくて」
「本当の名前は、由緒ある苗字なんでしょう?」
「ええ」
 トムは戦地でひと財産手に入れた。 もう彼は本当の家族に頼らなくても生きていけるのだ。
 だが、その前にモードは人の妻になってしまった。 出征前に、トムが落ち込んでいた理由が、イアンにはようやくわかった。
 トムは僧院を飛び出し、どうしても戻ろうとしなかった。 もう彼は大僧正になる見込みは無い。 それなのになぜ、モードは他の男と結婚する道を選んだのだろう。
 まだ語られていない秘密があると、イアンは鋭く感じ取った。
「彼の事情はわかりました」
 イアンは波立つ心を抑えて、静かに切り出した。
「彼が出家しないと決めたのは、貴方のためだった。 そう考えていいんですね?」
 下を向いたまま、モードはうなずいた。
「トムは貴方の城へ行こうとしたんですか?」
「いいえ」
 モードの喉が詰まった。
「そんなことをしたら、父に殺されたわ。
 トムはセント・ジェームズだけでなく、私からも逃げたの。 彼はどっちも欲しくなかったのよ」


 イアンは思わず口を開けた。
 混乱している彼にぶつけるように、モードは荒れた声で話した。
「誘わないでくれと言われたわ。 何度もはねつけられた。 さっきもそう言ってたでしょう? 放っておいてくれというのが、彼の望みなのよ!」













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