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道しるべ  197 鮮明な記憶


 モードは膝に両肘をつき、顔を載せて夢見るように言った。
「あなたはしっかりしてた。 ボロを着てても堂々と振舞っていて、周りに優しかった。 みんなあなたに憧れてたわ。 もちろん私も」
 なんとも気恥ずかしい状況に閉口して、イアンは思わず立ち上がって窓に歩いた。
「わたしのことはいいです。 トムの話を」
「そうね」
 モードの口調が変わった。 湿った低い声音になった。
「私が父とこの土地に来て、半年ぐらい経ったときだった。
 初めて狩の会を催して、私も馬で野山を走った。 でもまだ婦人用横鞍の乗馬は下手で、遅れてあせったあげく、急ぎすぎて途中で落ちたの」
 思い起こすと視野がぼんやり薄れて、羊歯〔しだ〕と湿った樹下の地面の匂いがよみがえってきた。
 モードはぽつぽつと話しながら目をつぶった。 その後の運命を変えたあの日の午後は、今でも鮮やかに心の中にしまいこまれていた。




 馬が倒木を飛び越えようとして、腰に力を入れた。 その勢いで横鞍がずれたのを感じ、モードは急いで態勢を立て直そうとした。
 馬の背が立った瞬間と、モードがあぶみを踏み換えたときが、運悪く重なった。 がっちりした馬はバランスを崩しながらも、なんとか太い木を越えていったが、モードは斜め後ろにすべって、林の中に墜落した。


 衝撃は相当なものだった。
 それでも、湿った柔らかい土の上に落ちたため、怪我はまぬがれた。 モードは洗濯女顔まけの悪態をつきながらよれよれと立ち上がり、どじな馬を探した。 だが、主人を振り落として身軽になった馬は、嬉々として仲間を探しに駆け去ってしまっていた。


 馬まで私をバカにして!
 かんかんになって、空元気が出た。 モードは乱れかかった髪を背中に振り払うと、勇ましく歩き出した。
 足には自信がある。 相当な速さで森を抜け、開けた場所に出た。
 晴れて気温の高い日だった。 そんな中で活発に運動したため、喉が渇いた。 モードは空き地の向こうに長く建物が伸びているのを見てとって、用心深く立ち木から立ち木へ姿を隠しながら、ゆっくり近づいていった。
 短剣と狩猟用石弓を持ってはいたが、いちおう女一人だから、用心が必要だった。












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