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道しるべ  196 誰でも悩む


 イアンは胸を突かれた。
「あの初対面のとき……? 貴方にそれまで会ったことはなかったと思いましたが」
「私は見ていたの。 二度見かけたわ。 村の小道を仲間と歩いているところと、森の中で木から木へ飛び移って、鳥の卵を採っているところを。 ほとんど音も立てないで、まるで森の精みたいだった」
 思いがけず動揺して、イアンは脇に目をそらした。
 初めて顔を合わせた日、モードは豪華な服をまとい、お供を連れて馬に乗っていた。 そして、ほこりっぽい道を歩いていたイアンに、セント・イザベル尼僧院へ案内してくれと言った。
「セント・イザベルがどこにあるかは知ってたわ。 でもあなたと話してみたかったの。 声をかけるとき、すごくどきどきしたわ」
 たまらなくなって、イアンは口を挟んだ。
「いいですか、わたしはボロを着た小僧だったんですよ。 よく水浴びをしていたから垢だらけではなかったが、取り柄といえばそれぐらいで」
「わかってないのね」
 モードは、さらりと返した。
「私と父はもっとひどかったのよ、グランフォートへ来る前は。 服は着たきりスズメで、しょっちゅうお腹をすかせていて、せっぱつまると盗みまでしてたんだから」
 クスッと笑うと、モードは上等な繻子のスカートを軽く跳ね上げた。
「寺院の境内で物乞いをしていて、お参りに来る貴婦人たちのドレスに見とれたわ。 こんな高価で美しい物には、一生縁が無いと思ってた。
 だから奇跡のように父が領主になれたとき、夢中になったの。 何でもかんでも欲しくなったし、着てみたかった。 毎朝起きるときに、夢が覚めてまた一文なしで野宿してるんじゃないかと思って、怖くて目が開けられなかったわ」
 一瞬ぱっと輝いた顔色が、またどんよりと曇った。
「でも中身は貧乏娘のまま。 礼儀作法なんか何も知らなくて、気取ったお嬢様たちにさんざんバカにされたわ。
 それ以上にひどいのが若様たち。 昔は私なんか道端の石ころみたいに見向きもしなかったり、逆にしつっこく追いかけてきて無理やり抱こうとしたり、さんざん見下されたのよ。 それが領主の娘に格上げになったとたん、花だの贈り物だの持ってきて、お姫様みたいにちやほやして!」
 そこでモードは思い切り鼻を鳴らした。
「なめるのもいい加減にしろってのよ。 あんな奴ら、あなたの足元にも及ばない」


 イアンはじっと床を見つめていた。
 思い出に別の光が当たり、まったく違う風に見えてきた。
 少女時代、傲慢に見えたモードだが、実は慣れない世界に戸惑い、突っ張っていただけだったのだ。 ただ、あまりに美しく華やかなので、表面の奥に隠された不安と寂しさが、イアンには見抜けなかった。











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