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道しるべ  172 本当の婚約


 その夜、トムの提案で婚約の祝宴が催された。
 村人にも参加を呼びかけ、使用人たちも加わって、小規模だが賑やかで陽気な集まりになった。 人々はイアンがおごる酒を楽しみ、素朴な踊りに興じ、未来の花嫁をたたえて幾度も乾杯を繰り返した。


 町者とはちがって、彼らは夜更けまで騒がず、終課の鐘(午後九時)が鳴る前に挨拶をして、三々五々家へ戻っていった。
 イアンは快い疲れの中で、ジョニーと手を取り合い、トムと最後の乾杯をした。
「ありがとう。 これで荘園内にジョニーを紹介できたし、祝ってもらっていい気分になれた」
「それが狙いさ」
 トムは酒代わりに薄いエールを入れたマグを高く掲げて、前の二人にウィンクした。
「おめでとう! どちらもこれまでの苦労が報われて、末永く幸せになるように、乾杯!」


 三人は階段を上ったところで、いったん分かれた。
 だが、やがてイアンが自分の寝室を出て、ジョニーの客室に忍んでいった。
 そっとノックすると、開けたのは硬い表情のユージェニーだった。
 わかっているくせに、彼女は顎を上げて馬鹿丁寧な口調で尋ねた。
「あらイアン様。 奥方様に何の御用でしょう?」
 イアンも負けずに冷たい微笑を浮かべた。
「もうじきわたしの奥方になる人に、話がある。 君もそろそろ、もうじき主人となるわたしに従うことを覚えたほうがいいぞ」
 ユージェニーの口元がピリッと引きつった。 しかし言い返すほど愚かではなく、わざとらしいお辞儀を一つして、道を開けた。
 イアンは軽くうなずいて戸口から入った後、付け加えた。
「右隣の部屋が空いているから、夜はそっちに移るように。 支度はすべて整えてある。 身の回りの物を持って、今すぐ行きなさい」
「はい」
 あきらめたように、ユージェニーは低く答えた。


 それから寝室に入ったイアンは、夜着に着替え終わったジョニーが立ち上がって迎えに来るのを、うっとりと眺めた。 白い寝巻きは二重に重ねた上等の亜麻でできていて、襟元をレースで飾り、細い絹の紐で優雅に結んである。 ジョニーが動くと柔らかい裾が足にまつわりついて、霧を自由自在に操るという妖精の女王のように見えた。
 彼女から目を離せないまま、イアンはゆっくり近づき、前に膝をついた。 ジョニーは驚いて立ち止まった。
「イアン?」
 その顔に降ろしたジョニーの視線を、きらりと光る物がかすめた。 彼が懐から出したサファイアの指輪だった。
 ジョニーの手を取って、イアンはそっと薬指に指輪を嵌めた。 そして、ぎこちなく囁いた。
「レディ・クラリー・ジュヌヴィエーヴ、この指輪をもって婚約の証とさせてください」
 ジョニーは衣擦れの音をさせながら自分もひざまずき、ゆらぐ蝋燭の炎にきらめく深い色の青玉をじっと見つめた。
 それから顔をあげると、イアンの瞳に見入った。 彼女の眼は、指に輝くサファイアに紗をかけたように、淡くかすんで濡れていた。
「嬉しいわ。 こんなに上品で美しいものを、私のために……」












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