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表紙

道しるべ  166 今になると


 びしょ濡れの二人は上の部屋へ上がり、湯を運んできてもらって風呂に入った。
 大男のイアンに合わせて、風呂桶は大きかった。 使用人に余計な世話をかけないように、二人で一緒に入ろうとイアンが提案すると、ジョニーは照れくさそうにしたが嫌とは言わなかった。
 小うるさい侍女のユージェニーがうろちょろしない部屋で、二人は熱いほどの湯につかり、洗い合い、自然の流れでベッドへ向かった。
 柔らかい胸に顔を埋めて、イアンは囁いた。
「君の全身を見たのは初めてだ」
 笑いと恥ずかしさの混じった声が、彼の耳元で揺れた。
「私も……」
「どうだった?」
 イアンが訊くと、軽く胸を叩かれた。
「素敵と言ってほしいの? それとも堂々としてると?」
「君は素敵だよ。 肌がほんのり赤くなって眼がきらきらして」
「お湯のせいね」
 ジョニーは肘で体を持ち上げ、イアンの口にキスした。
「でも誉めてくれてうれしい。 初めてだもの」
 そんなことはないさ、と言いかけて、イアンははっとした。 もしかすると本当に、一度も優しい言葉をかけたことがなかったかもしれない。 まるで彼女が本物の下働きの少年であるかのように。
 そう気づくと背筋がひやっとした。 今や有数の花嫁候補となった彼女は、館だけでなくここまで来る道のりでも、いろんな男性に甘い言葉のかけられ放題だっただろう。 そんな中で、よく無愛想な自分を選んでくれたものだ。
 イアンは顔をうつむけ、ジョニーに頬ずりしながら、素直になれと自分に言い聞かせた。 彼女をたまらなく可愛いと思ったことは、何度もある。 自然な仕草、やさしい声、謙虚な話し方が好きだった。 それを本人に言えばいいのだ。 これまでは当たり前すぎて、わざわざ告げようとは思わなかった。
 愚かだった。  動作で優しくするだけで、口に出すきっかけをなかなか掴めない、今のこんな自分も。



 まだジョニーの着替えを置いていないので、エッシーが自分のよそ行きを持ってきてくれた。 だいぶたっぷりしたサイズで、ジョニーはベルトでウェストを二重折りにして丈を調節し、ショールをかけて、はだけそうな胸元をうまく隠した。
 だぶだぶの服を、二人は面白がった。 夕食を共にしたトムも同じだった。 三人はくったくなく冗談を言い合い、旺盛な食欲でエッシーの素朴だが味のいい料理をどんどん平らげていった。
 イアンは心の中で、まだ気詰まりなものを感じていた。 トムはあいかわらずジョニーにさりげなく気を遣ってやさしい。 何の気詰まりも感じていないように見える。 それでもイアンは、二人の婚約を告げたときトムの顔を一瞬かすめた悲哀の影を、忘れることができなかった。




 その夜、ジョニーはエッシーとキャスの準備した客用寝室に泊まった。
 だが皆が寝静まると、イアンはそっと彼女の部屋に忍んで行った。 ジョニーも目を覚ましていて、彼がそっとノックすると、すぐに起きてきてドアを開けた。











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